スポークの時代(1970-80年代)
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「ナショナル セミコンダクター」の記事における「スポークの時代(1970-80年代)」の解説
ピーター・スプラーグとピーター・ラモンドとチャーリー・スポークは手を取り合い、NSを世界的レベルの半導体企業へと脱皮させるよう努めた。CEOに就任すると、スポークは他の半導体企業に価格競争を仕掛け、それによって多くのライバル企業が排除されていった。撤退企業の中にはゼネラル・エレクトリックやウェスティングハウスも含まれている。 スポークがコスト削減、オーバーヘッド削減、利益最優先を徹底し、NSは価格競争を生き抜いた。そして1981年には半導体企業として初めて年間売り上げ10億ドルの大台に乗った。NSの成功の基盤となったのは、アナログ回路やTTLおよびMOSFET集積回路技術の専門知識である。フェアチャイルドでのときと同様、スポークとラモンドは軍や航空宇宙産業との契約への依存度を減らし、成長の著しい産業市場を中心とするようNSを導いた。コンピュータ利用の爆発的成長もあいまって、彼らの決定がNSの成長を確かなものとした。ラモンドとスポークは成長のための資金をなんとか集め続けた。 スポークはコスト低減策のひとつとして、低賃金化とアウトソーシングを進めた。NSは開発途上国、特に東南アジアでいち早く集積回路の一貫工場を立ち上げた最初の企業の1つである。 スポークの指導下のNSでの製造工程の改善は、プロセスそのものの技術革新ではなく、フェアチャイルドやTIといった他社が確立したプロセスを改良するという形で発揮された。また、フェアチャイルドの人材をしばしばヘッドハンティングした。 スポークは民生品市場に乗り出すというビジョンを持っていたが、マーケティング戦略への投資は全く行わなかった。スポークはNSを低価格な半導体部品の大量メーカーとして機能させた戦略を適用した。半導体にとどまらず、電卓、腕時計、POSシステム、メインフレームなどを発売した。 日本のソニーやスイスのスウォッチは、民生品市場が低価格であればあるほど需要が増える市場ではないと理解していた。 1981年、主任IC設計者だったピエール・ラモンド(英語版)(現在はコースラ・ベンチャーズ(英語版)のパートナー)を含めた主要な役員や技術者がNSを離れた。ロバート・スワンソンも同年NSを離れ Linear Technology を創業している。 スポークのアウトソーシング戦略により、NS社内には技術革新に追随できるだけの十分なリソースがなくなっていった。そのため、1980年代の技術革新ブームの中でNSは取り残される形となった。1984年には32ビットマイクロプロセッサのNS32032を発表した。この開発に4500万ドル以上を投じている。 1987年、1億2200万ドルの価額でフェアチャイルドセミコンダクターを買収。また、1989年にはメインフレーム部門を日立製作所の子会社に売却した。 技術革新を生み出さないNSの製品は、容易にコピーし量産可能だということになる。アメリカ合衆国では最もコストの低い製造業者となっていたが、アジアの業者に比べれば最もコストが低いとはいえない。NSのこの弱点により、1980年代の日本の半導体企業の台頭やその後の台湾や韓国の台頭で、世界的な競争に負けることになった。
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