シェイクスピアの階級
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「シェイクスピア別人説」の記事における「シェイクスピアの階級」の解説
成人するまでストラトフォードに住んでいた片田舎の皮手袋製造業者の息子が、世界を股に掛け活気に満ち溢れた高貴な人間達の生涯を独力で描き切ったとは考えられないというのも反ストラトフォード派の主張である。チャールズ・チャップリンは簡潔にこうまとめている。「天才の作品のうちにも、どこかしらに卑賤の出自が顔を出すものだ。しかし、シェイクスピアの作品にはそうした兆候がまったく見出せない。シェイクスピア作品を書いたのは、それが誰であれ貴族的な人物だ」。正統派研究者の答えは、この時代、上流階級の典雅な世界は大衆受けのよい舞台設定だったため多くの戯曲において取り入れられているではないか、というものである。確かにクリストファー・マーロウ、ジョン・ウェブスター、ベン・ジョンソン、トマス・デッカー(Thomas Dekker)他、ルネサンス期のイギリス人劇作家の多くが低い身分の生まれでありながら貴族社会を描いてはいる。 反ストラトフォード派のさらなる論駁は、政治や法律や外国語に関する詳細な知識が作品に散りばめられているが、上流階級の出身ないしは大学での高等教育を受けた者でなければこうした知識を得ることは不可能だというものである。正統派研究者は、シェイクスピアは出世して上流階級の近くにいたのだと応じる。シェイクスピアが所属していた国王一座はその名の通り国王ジェームズ1世の庇護を受けており、宮廷でも上演を行っていたため、貴族社会の生活の様子を観察する機会が充分にあったのだ。しかも、こうした上演活動を通じて得た報酬によってシェイクスピアはそれなりに裕福になっており、当時の多くの富裕な中産階級と同じように、紋章を授けられジェントルマンとして認められていたのだと。これに対する再反論として反ストラトフォード派が持ち出すのは、シェイクスピア同様に身分の低かったベン・ジョンソンがヘンリー王太子から『女王たちの仮面劇』("The Masque of Queens"、1609年)の執筆を依頼され庇護を受けるようになるまでにデビューから12年かかっているという事実である。サウサンプトン伯ヘンリー・リズリー(Henry Wriothesley)がシェイクスピアのパトロンになったのは長詩『ヴィーナスとアドーニス』(1593年)を捧げられたことがきっかけだが、これがシェイクスピアの最初期の著作であることから考えると、貴顕の眼鏡に適ったのが早すぎるということである。 ジョナサン・ベイト(Jonathan Bate)は、その著書"The Genius of Shakespeare"において、こうした出身階級を巡る議論については全く逆のこともいえると述べている。すなわちシェイクスピアの戯曲には、オックスフォード伯やベーコンのような上流階級の人間が詳しく知るはずのない下層階級の生活や俗語も詳細に描かれているという点である。フォルスタッフ(『ヘンリー四世』『ウィンザーの陽気な女房たち』)、ニック・ボトム(Nick Bottom、『夏の夜の夢』)、アウトリュコス(Autolycus、『冬物語』)、サー・トービー(Toby Belch、『十二夜』)その他、シェイクスピアの登場人物の中でもとりわけ活き活きと描かれている者達は大抵下層階級ないしは下層階級に近しい者ばかりなのである。しかし反ストラトフォード派の指摘する通り、シェイクスピアが貴族階級を描く時の著者の表現は人間的で多面的なのに対し、農民達の描写の仕方は全く異なっており、滑稽で珍妙な名前(ボトム(どん底)やベルチ(ゲップ)の他、『ヘンリー四世 第2部』のブルカーフ(牛の仔)、『尺には尺を』のエルボウ(肘?)など)を付けたり、ジョークの標的や暴徒として描いたりしていることもあるため、作中の表現から読み取れる作者の身分は曖昧なものにとどまっている。 また17世紀には、シェイクスピアは宮廷の様子や作法などにも通じているとは見なされておらず、ジョン・ミルトンが長詩『陽気な人("L'Allegro")』において"sweetest Shakespeare, Fancy's child, / Warble his native wood-notes wild."と詠っているように、むしろ野性的な天然児と考えられていたことも指摘される。事実、ジョン・ドライデンは1668年に劇作家ボーモント&フレッチャー(Beaumont and Fletcher、合作を行っていたフランシス・ボーモント(Francis Beaumont)とジョン・フレッチャー(John Fletcher)のコンビ名)のことを、シェイクスピアよりも「ジェントルマンの会話を理解し模倣することにはるかに長けている」と評し、また1673年にはエリザベス朝時代の劇作家の大方について、「ベン・ジョンソンを除くと、彼らのうち誰一人として宮廷のことに精通していたようには見えない」とこぼしている。
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