シェイクスピアの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 02:13 UTC 版)
「ニュー・プレイス」の記事における「シェイクスピアの死後」の解説
1616年に家はシェイクスピアの娘のスザンナ・ホールに渡り、ついで孫娘であるエリザベス・ホールへと渡った。エリザベスは最初の夫のトマス・ナッシュが亡くなって、再婚したばかりであった。ナッシュはニュー・プレイスの隣に家を持っていた。エリザベスの死後、ニュー・プレイスはクロプトン家に返された。 1702年にジョン・クロプトンはもとのニュー・プレイスを大きく改築したか、建て直すかした(同時代の絵によると後者であるらしい)。1759年、当時の所有者であった牧師のフランシス・ガストレルは、家とシェイクスピアが植えたといわれる庭のクワの木を見ようと訪れてくる観光客に嫌気がさし、木を切り倒してしまった。報復として、町民はニュー・プレイスの窓を割った。ガストレルは庭を広げることに対して地域の許可を求めたが、申請が却下されたばかりか、不動産税を増額されたため、怒りのあまりついに家全体を破壊した。このことは住民を怒らせ、結局ガストレルは町から追い出されてしまった。 シェイクスピア・バースプレイス・トラストは1876年にニュー・プレイスとナッシュの家を買収した。今日では、隣のナッシュの家にある博物館からニュー・プレイスの跡地を訪れることができる。
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