シェイクスピアの遺言書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「シェイクスピアの遺言書」の解説
ウィリアム・シェイクスピアの遺言書は長く明晰であり、成功した有産者の財産が事細かにリストアップされている。しかし、反ストラトフォード派はこの遺言書が個人的な書類や書簡、蔵書(当時、本は高級品であった)に関して一切言及していない点に着目した。しかも、初期の詩や自筆原稿、未完成の作品はもちろん、ストラトフォードの男が所有していたはずであり非常に高価であったと思われるグローブ座の株式に関しても触れられていないのである。 とりわけ反ストラトフォード派が疑念を抱いているのは、シェイクスピアが死去した時点で18篇の戯曲がまだ単行本化されていなかったにもかかわらず、遺言書においてそれらの作品に関する記述が見られないことである(これは、フランシス・ベーコンが2通の遺言書において、自分の死後に刊行されることを望む著作について明記していることとは対照的である)。未刊行作品を出版することで残された家族に印税が入るよう取り計らうことにも、自分の作品を後代に残すことにもシェイクスピアは無関心であったのだろうか、と反ストラトフォード派は疑義を呈する。シェイクスピアが本当にそれらの作品を書いたとして、彼が著者個人の権利を全て放棄して劇団に全ての原稿を渡してしまったなどとは、反ストラトフォード派にとってはにわかに信じられないことである。 しかし正統派の学者は、この考え方をルネサンス期イギリス演劇界における知的財産権への無理解に基づいたものだとして退ける。シェイクスピアが著作権を劇団に譲渡したというのは、この時代においてはむしろ一般的なことであり、一旦劇団に作品を提出した時点でその作品はシェイクスピア自身も株主である国王一座の団員による共有物となるのが慣例だったのである。事実、ファースト・フォリオの献辞が寄せられているのはシェイクスピアと同僚だった劇団の共同経営者かつ著作権管理人として全集の編纂者を務めたジョン・ヘミングス(John Heminges)とヘンリー・コンデル(Henry Condell)である。 上演されなかったシェイクスピア作品の帰属がどうなっていたかは不明だが、そもそもシェイクスピアの生前に上演されなかった作品があるとすれば、それはどの戯曲であるのかということも明らかにはなっていない。
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