なぜシェイクスピア別人説が起こるのか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「なぜシェイクスピア別人説が起こるのか」の解説
シェイクスピアに関する、事実に基づいた、信頼に値する情報は少ない。ジョン・ミッチェルは、著書『シェイクスピアはどこにいる?』において「シェイクスピアの生涯について知られている事実は、便箋1枚の片面にそのすべてを書き尽くすことができる」とさえ述べている。ミッチェルは同書の中で、マーク・トウェインが『シェイクスピアは死んでいるのか?』("Is Shakespeare Dead?"、1909年)で記した同じ趣旨の皮肉を引用している(トウェインは、シェイクスピアの確実に知られた事実だけを並べて貧相な伝記を書き、壮大なシェイクスピア研究の歴史総体を風刺してみせた)。 例えば、 シェイクスピアの個人史には所々大きな空白部分がある。 シェイクスピア自身によって書かれた手紙が存在しない。 詳細に書かれたシェイクスピアの遺言書が現存するが、そこには本や戯曲や詩、その他いかなる書き物についても言及されていない。 自分の芸術に関する持論を1つも表していない。 署名が4通りもあり、どれ1つとして似た書体ではない。 そして、シェイクスピアの人となりについてはほとんど何も知られていない。 従って、彼の書いたものから少なからず推測することは可能だが、謎めいた人物像を明らかにする程の具体的な情報は欠如している。 シェイクスピアに関する情報は不足しているが、没してから長い歳月が経過していることや、当時の中流階級の人物に関する伝記的事実は政治家や上流階級のようには記録されなかったことなどから考えれば、これはむしろ当然のことであるというのが従来の研究者達の共通理解である。また、そもそもこれはシェイクスピアに限った話ではなく、エリザベス朝演劇を担った舞台関係者達についての情報はおおむね断片的なものであり、他の時代の劇作家についても事情は同じようなものだということも基本事項である(シェイクスピアに関する資料を同時代の大衆演劇関係者のそれと比較すれば、絶対量は少なくても相対量は多いとさえいえる)。 それに対して反ストラトフォード派(定義は後述)は、シェイクスピアに関する情報の不足を残念なこととは思わず、むしろこれこそが注目に値することだと考える。シェイクスピアについての入手可能な情報から判断する限り、従来「ウィリアム・シェイクスピア作」とされてきた作品群を書くだけの能力を、本当にシェイクスピアが有していたかどうかは疑わしいというのが彼らの主張である。さらには、同時代のよく知られた別人の方が本当の著者と考えるにふさわしいという見解とそれを裏付ける証拠を示し、シェイクスピアは単に「本当の著者」の正体を隠しておくために代理人として名前を貸していただけだと彼らは結論づける。
※この「なぜシェイクスピア別人説が起こるのか」の解説は、「シェイクスピア別人説」の解説の一部です。
「なぜシェイクスピア別人説が起こるのか」を含む「シェイクスピア別人説」の記事については、「シェイクスピア別人説」の概要を参照ください。
- なぜシェイクスピア別人説が起こるのかのページへのリンク