なぜマーガレットが「反逆罪」なのか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:58 UTC 版)
「マーガレット・ポール」の記事における「なぜマーガレットが「反逆罪」なのか」の解説
1538年にマーガレットが唐突に逮捕された理由については諸説あってはっきりしない。 レジナルド・ポールの母親だったからヘンリー8世はレジナルドの「教会の統一」を読んで激怒し、その怒りが家族に及んだとみるものであり、これが今日のところ一般的である。だが、レジナルドが「教会の統一」を発表したのが1536年で、逮捕されたのは1538年である。なぜ逮捕まで2年以上かかるのかという疑問が残る。これについては「1533年6月にヘンリー8世がアン・ブーリンを正式に王妃にしたために7月に教皇がヘンリーを破門したが、これが実は草案であり、実際に破門されたのは1538年である」という説もある。これで「破門とその怒りによる逮捕」というつながりができる、というものである。 カトリックの有力貴族だったからこの時期ヘンリー8世はカトリックの一斉弾圧を行っており、ヘンリー8世の将来を危うくする可能性のある貴族だから弾圧した、という説である。だがすでに1534年王位継承法(英語版)によって、カトリック系の貴族は法的にはいつでも反逆罪に問えることになっており、逮捕の時期に何があったかは不明なままである。 ヘンリー8世暗殺計画の噂が流れたから小説「Mary, bloody Mary」のヒストリカル・ノートによると、「メアリーを王位につけるためヘンリー8世の暗殺が計画されているという噂が流れ、マーガレットがその計画に加わったとされた」とある。 (小説本文ではなくヒストリカル・ノート部分の記述ではあるが、その根拠となる資料については不明)
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