シェイクスピアの遺言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 07:28 UTC 版)
「アン・ハサウェイ (シェイクスピアの妻)」の記事における「シェイクスピアの遺言」の解説
シェイクスピアの遺言書には、ハサウェイが相続する遺産として「2番目にいいベッドと家具」という有名な一文しか記載されていない。遺言書に「もっともいいベッド」に関する記載は存在しないが、長女スザンナが相続した多くの遺産の中に含まれていたと考えられている。この一文はハサウェイを侮辱したものだといわれることが多く、シェイクスピアにとって身近な家族知人の中でハサウェイは「2番目」の人物だったに過ぎなかったと解釈されている。少ないながらこの解釈に対する反論も存在している。それらの反論の中で、当時の法では未亡人のハサウェイは遺産の三分の一を相続する権利を有していたために、遺書ではあえて取り上げられていないのだという説については、異論が多い。ハサウェイが娘たちから十分に面倒を見てもらっていたはずだという説もある。ジャーメイン・グリアは、ハサウェイがわずかな遺産しか相続しなかったのは、スザンナが結婚したときに新郎のジョン・ホールとの間に交わされた約束事が影響しているのではないかと主張している。生前のシェイクスピアとホールが共同で投機的な事業を展開していたことが、ホールとスザンナがシェイクスピアの遺言執行人に任命される結果となったとしている。シェイクスピアの遺産の大部分を相続したスザンナとホールは、生前のシェイクスピアが住んでいたニュー・プレイスと呼ばれる邸宅に引っ越した。 ハサウェイは娘たちに依存しなくても、経済的に独立していたと考えられている。イギリス国立公文書館は「ベッドと家具だけが妻に遺贈されるのは、当時では普通のことだった」とし、子供たちが1番いいものを相続し、妻が2番目にいいものを相続するのは伝統的慣習だったと明言している。シェイクスピアの時代においては、裕福な市民が所有するベッドは高価な品であり、小さな一戸建てと同等の価値を有することさえあった。ハサウェイが相続したベッドと家具は、現代人が想像するような僅少なものではなかったのである。エリザベス女王の統治期のイングランドでは、家の中でもっともいいベッドは来客用のものであり、普段は使用されていなかった。シェイクスピア家でもこの伝統が守られていたとすれば、ハサウェイが相続したベッドはシェイクスピア夫婦が使用していたベッドであり、決してハサウェイを軽んじた遺産ではなかった。
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