ウォルター・ローリーの処刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「ウォルター・ローリーの処刑」の解説
ヴィクトリア朝時代におけるベーコン全集の編纂者であり、ベーコンに関する深い学識をもって反ベーコン派の立場を貫いたジェームズ・スペディング(James Spedding)は、『マクベス』の中のある一節はウォルター・ローリーの処刑をほのめかしたものではないかとの新説を提唱した。ローリーが処刑されたのは1618年、すなわちシェイクスピアの死後2年目、オックスフォード伯の死後14年目のことである。問題の一節は、マクベスに殺害されるスコットランド王ダンカンの長男マルカムが「不誠実な裏切り者/コーダーの領主」("disloyall traytor / The Thane of Cawdor")が処刑されたときの様子を述べた、第1幕第4場冒頭のセリフである。 Duncan. Is execution done on Cawdor? Or not those in Commission yet return’d?Malcolme. My Liege, they are not yet come back,But I have spoke with one that saw him die :Who did report, that very frankly heeConfess’d his Treasons, implor'd your Highnesse PardonAnd set forth a deepe Repentance:Nothing in his Life became him,Like the leaving it. He dy’de,As one that had been studied in his death,To throw away the dearest thing he ow’d,As ’twere a carelesse Trifle.ダンカン コーダーの処刑は終わったのか?任にあたった者たちはもう戻ったのか?マルカム まだ戻っておりません、陛下。しかし私は処刑を目撃した者から話を聞きました。彼らがいうには、彼奴めは大変率直に反逆を認め、陛下の高邁な慈悲を乞い、深い悔悟の念を述べました。その生涯のうちでも、そこからの去り際ほど彼にふさわしいものもないほど見事に彼は死にました、まるで死に様というものを研究していたかのように。持てる最も高価なものさえ投げ放ったそうです、 まるでそれが取るにたらないものであるかのように。 — 『マクベス』第1幕第4場冒頭 死刑執行を目前に控えたローリーの気軽な様子をいくつかの資料が記しており、「彼の審理を行なう委員会はまだ戻っていなかった」という文言から、処刑が極めて迅速に執行された(反逆罪容疑による裁判の次の日であった)ことが窺われる。『マクベス』の主要な種本となったラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed)の『年代記』("The Chronicles of England, Scotland and Ireland")では、「王に対する反逆容疑で非難されたコーダー領主」に関して特別な詳細は書かれていないので、上記のような描写はシェイクスピア(もしくは別の真作者)による創作ということになる。シェイクスピア作品にローリーの処刑に関する言及があったとすると、これはベーコン派にとって特に有利な証拠となる。というのも、上述の通りローリーの処刑はシェイクスピアやオックスフォード伯を初めとする大半の候補者の死後の出来事であり、しかもベーコンは枢密院からローリーの身辺調査をするよう任命された6人の審議会委員の1人だったからである。 とはいえ、自らの処刑に際して勇敢な振る舞いを見せたエリザベス朝時代の反逆者はローリー1人にとどまるものではない。1793年にジョージ・スティーヴンス(George Steevens)は、件のセリフはスコットランド王と共謀して反乱を企てた咎で処刑された第2代エセックス伯ロバート・デヴァルー(Robert Devereux)の処刑をほのめかしたものではないかとの見解を述べた(エセックス伯の処刑は1601年、シェイクスピアやオックスフォード伯の生前の事件である)。「ジョン・ストウ(John Stow)の記述にしたがうならば、コーダーの領主の振る舞いは不運なエセックス伯のそれとほぼあらゆる状況において一致している。女王による寛容の要求、自身の弁明と告解、死刑台の上でなお礼節をわきまえて振る舞いたいとの懸念、こうした彼の挙措がそこには詳述されている」。スティーヴンスが注意を促しているように、エセックス伯はシェイクスピアの庇護者サウサンプトン伯の親友であった。またエセックス伯はベーコンが議会に職を得て間もない頃に相談役としてベーコンを雇ってもいた(ただし、後にエセックス伯はベーコンと仲違いし、伯爵の反逆罪容疑が浮上した際にはベーコン自ら伯爵を批判し起訴するに至った)。 ただし、これらの学説はシェイクスピア研究史の中でも特異な見解であり、『マクベス』の注解者のほとんどは、マルカムのこのセリフは純然たるフィクションであり、歴史上の事件や実在した人物をほのめかしたものではないと考えている。
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