ウォルター・リップマン会議
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「新自由主義」の記事における「ウォルター・リップマン会議」の解説
1930年代、反自由主義の雰囲気が決定的となった。そこで哲学者ルイ・レージエ(英語版)の提唱で、1938年8月にパリでウォルター・リップマン国際会議(英語版)が開かれた。ウォルター・リップマン、フリードリヒ・ハイエク、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、ロベール・マルジョラン、ナチスの迫害を避けてトルコに亡命した経済学者ヴィルヘルム・レプケ(英語版)、ドイツ革命に参加しヴァイマル共和政の経済問題担当大臣としてルール地方の石炭産業の国有化に携わったアレクサンダー・リュストウ(英語版)、フランス銀行副総裁のジャック・リュエフなどが参加した。リップマン、リュストヴ、レージエらはレッセフェールの古い自由主義は失敗したため新しい自由主義が必要だと主張したが、ハイエクやミーゼスはそのような非難には同調しなかった。しかし、すべての参加者が新しい自由主義の研究プロジェクトの必要性に同意した。リュストヴの提案によりこのプロジェクトを「ネオリベラリズム」と呼ぶことになった。この会議から生まれたネオリベラリズムは、政府の規制を排除した自由な市場経済というリュストヴの概念に沿っていた。それは資本主義とも共産主義とも異なる第三の道への試みでもあった。このように初期のネオリベラリズムは、21世紀に広く認識されているような市場原理主義とは異なった概念であった。 この国際会議は、ネオリベラリズムの国際組織として自由主義刷新国際研究センター(Centre International d’études pour la Rénovation du libéralisme)を設立した。本部をパリに置いて、センターは1939年から活動を開始した。発足時の参加者87名のほとんどはフランス人であり、1926年に欧州経済関税同盟(l'Union économique européenne)を設立したシャルル・ジッドがいた。ベルギー人のパウル・ファン・ゼーラントと弟のマルセル、レオン・デュプリエ、モーリス・フレールらも所属していた。
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