サイエンス・コミュニケーションにおける欠如モデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 14:44 UTC 版)
「欠如モデル」の記事における「サイエンス・コミュニケーションにおける欠如モデル」の解説
「欠如モデル」と言う用語は、元々は科学におけるパブリック・コミュニケーションの研究を行っていた社会科学者らによって、1980年代に生み出された。この用語が生み出された目的は、サイエンス・コミュニケーションに新しい潮流をもたらすためではなく、むしろサイエンス・コミュニケーションの名目で行われている様々な活動の根底にある信念を特徴的に言い表すためであった。 この信念には2つの側面がある。第1の側面は、環境問題や科学技術を始めとする現代の科学に対する大衆の不安と疑念は、科学とそれに関連する議題についての十分な知識が大衆に不足しているために引き起こされるのだ、という考えである。第2の側面は、この大衆の知識不足(あるいは「知識欠如」)を克服するための適切な情報を提供することによって、一般世論が変化し、環境問題や科学技術に関して「提供された情報はトータルとしては信頼できるし正確なのだ」と言うことで大衆に納得してもらえる、という考えである。 科学者は、一般大衆は科学を理解せず、よって大衆は教育される必要があるのだ、と考えがちである。欠如モデルにおいては、科学者はもっと多くの情報を公開することで、大衆の知識欠如を「修正」できる可能性があると仮定する。科学者はしばしば、「『事実(それが本当に事実であるかはともかくとして)』を提供すれば、大衆は新しい技術を喜んで支持する」と仮定する。 しかし、人々に単により多くの情報を提供するだけでは、必ずしも意見が変わるわけでは無い、ということを示す文献が多くあるため、「欠如モデル」には疑念が呈されている。これは、一つの理由としては、人々があらゆる意思決定プロセスにおいて、自分がこれまで言ってきた(あるいはこれまで聞いてきた)ことと同じ意見を持ち続けたいと思うためであり、また別の理由としては、人々は科学的な『事実』だけではなく、他の多くの要因に基づいて意思決定を行うためでもある。ここで言う「要因」とは、道徳的、政治的、または宗教的信念などに加えて、文化、歴史、あるいは個人的な経験も含まれる。これはある種の「カン」であり、科学的事実によって曲げたりできないものである。別の言い方をすると、人々のリスク感覚は、純粋な科学的考察に基づく定型的なリスク分析を超えて広がっており、そして欠如モデルはこれらの「外部性」を、どこかへ追いやってしまっている。現在、欠如モデルに代わる最善の考え方として、真摯に大衆と交流し、これらの「外部性」を考慮に入れるということが広く受け入れられている。 これにより、サイエンス・コミュニケーター、中でも「実証のない確信」を人々に届けようとする者は、代わりの説得方法を探すようになった。 たとえば2019年の研究では、遺伝子組み換え作物の反対から支持へと転換した人々の「個人的な物語(ストーリー)」を公開することで、大衆が遺伝子組み換え作物に対してによりポジティブなイメージを持つようになったことが示された。 欠如モデルでは、一般大衆を「情報と科学的知識の受け手」とみなしている。彼らが受け取る情報は、どのようなメディアを介するにせよ、情報を大衆に与える立場の者が「こういうのが大衆の興味を引くだろう」と想定してあらかじめ用意されたものである。近年の科学的研究の進展によって発見されたことによると、欠如モデルのそういう態度が、特定の科学分野の周辺に対する大衆の関心の低下につながったことが示唆されている。情報があまりに多すぎて、それらを全部取り入れるわけにはいかず、情報量に圧倒され、やがて関心を失ってしまう。 欠如モデルでは、大衆の知識についてこのように仮定している。すなわち、彼らが科学的な論文と研究の知識がほとんど無い「白紙状態」であるとしている。繰り返すが、これは「知識欠如」の状態であり、信頼でき・知識のある・権威ある科学的コミュニティに所属する人から、簡単な指示と一般的な指導に基づいて知識を得る必要がある。しかし、インターネットのような新しい情報伝達システムの増加と、アクセシビリティの容易さによって、科学的研究に対する多大な知識が得られるようになり、これによって大衆の理解が深まるであろうことは明らかである[要出典]。これは、自分の知識ベースを積極的に増やし、知識欠如を減らし、マスメディアからあふれる情報や、政府広報の真実性および妥当性を評価できるような人間にとっては良いことである。そしてこれによって、受動的な「白紙状態」である多数の無知な大衆と、「有り余る知識」を抱える少数の知識人との交流が深まるはずである、と「欠如モデル」においては考えられている。
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