ゴールデングローブ
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ゴールデングローブ(Golden Gloves)は、アメリカ合衆国で行われているアマチュアボクシングの大会である。
概要
1927年より続けられている全米で最大の伝統ある大会。1995年より女子も開催。
16歳以上の非プロボクサーが対象。これとは別に10歳から15歳までを対象としたシルバーグローブ(Silver Gloves)も開催されている。
ニューヨーク・シカゴなど全米の各地30カ所で開催され、勝ち上がると当大会の全米王座を決める「ナショナル・ゴールデン・グローブ」に進出する。
後に全米代表やプロの一線級となる選手を数多く輩出しており、上を目指す者の登竜門のような大会となっている。
日本人では2002年に中村千香が女子ノービス部門で優勝を果たしている。1957年には米倉健治もシアトル大会に出場。ニューヨーク大会では現地で寿司職人として働いていた日本人 [1] が2003年男子フェザー級ノービスクラス、2008年男子バンタム級オープンクラスでそれぞれ準決勝に進出したこともあるが、いまだ日本人男子ボクサーによる大会優勝はおろか、決勝進出さえもはたされていない[1]。[2]
フランチャイズ
- アラバマ・ゴールデングローブ
- バッファロー・ゴールデングローブ
- シカゴ・ゴールデングローブ
- シンシナティ・ゴールデングローブ
- クリーブランド・ゴールデングローブ
- コロラド-ニューメキシコ・ゴールデングローブ
- デトロイト・ゴールデングローブ
- フロリダ・ゴールデングローブ
- ハワイ・ゴールデングローブ
- インディアナ・ゴールデングローブ
- アイオワ・ゴールデングローブ
- カンザスシティ・ゴールデングローブ
- カンザス-オクラホマ・ゴールデングローブ
- ノックスビル・ゴールデングローブ
- ミシガン・ゴールデングローブ
- ミッドサウス・ゴールデングローブ
- ネバダ・ゴールデングローブ
- ニューイングランド・ゴールデングローブ
- ニュージャージー・ゴールデングローブ
- ニューヨークメトロ・ゴールデングローブ
- オマハ・ゴールデングローブ
- ペンシルベニア・ゴールデングローブ
- ロッキーマウンテン・ゴールデングローブ
- セントルイス・ゴールデングローブ
- シラキューズ・ゴールデングローブ
- テキサス・ゴールデングローブ
- トレド・ゴールデングローブ
- トライステート・ゴールデングローブ
- アッパーミッドウェスト・ゴールデングローブ
- ワシントンDC・ゴールデングローブ
- ウィスコンシン・コールデングローブ
- インターシティ・コールデングローブ
主なナショナル・ゴールデングローブ優勝者
- ダニー・ホッジ(1958年ヘビー級)
- モハメド・アリ(1959年・1960年ミドル級連覇)
- グレグ・リチャードソン(1974年フライ級)
- マーク・ブリーランド(1980年ライトウェルター級)(1981年・1982年・1983年・1984年ウェルター級)ニューヨーク州では5連覇。インターシティ・ゴールデングローブでも一度ウェルター級で優勝経験がある。
- マイク・タイソン(1984年ヘビー級)
- ヴァージル・ヒル(1984年ミドル級)
- フランク・ライルズ(1986年ウェルター級)
- コーリー・スピンクス(1997年ウェルター級)
- スティーブ・カニンガム(1998年ライトヘビー級)
- ナタリー・ブラウン(2000年女子ウェルター級)
- アンドレ・ベルト(2001年ライトミドル級)
備考
2007年12月15日、亀田和毅がメキシコの「ゴールデングローブ」ジュニア部門で準優勝したという報道がされたが亀田が出場したのはメキシコのグアンテス・デ・オロ(英語訳で「ゴールデングローブ」)であり当大会ではない。また、2009年に享栄高等学校3年の児玉善徳がMVPを獲得したのもセルビアで開催された「ゴールデングローブ」を名乗る別の大会である。
カナダでもBCゴールデングローブと呼ばれる大会が開かれている。
日本でも関西地区で「兵庫県ゴールデングローブ選手権大会」と称したアマチュア大会が行われている。
脚注
関連項目
外部リンク
ゴールデン・グローブ
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「ドナルド・クローハースト」の記事における「ゴールデン・グローブ」の解説
詳細は「サンデー・タイムズ・ゴールデン・グローブ・レース(英語版)」を参照 ゴールデン・グローブ・レースは、フランシス・チチェスター(英語版)のヨットによる単独世界一周航海に触発されたものである。チチェスターは、シドニー(オーストラリア)に1回寄港したのみで単独世界一周を達成している。この記録は少なからぬ注目を集め、多くのセーラー達を必然的に次なる挑戦に誘うことになった。つまり、単独無寄港世界一周航海である。 イギリスのサンデー・タイムズ紙はチチェスターのスポンサーであり、その成功によって大きな利益を得ていた。そして、史上初の単独無寄港世界一周航海にも関与することを考えたのである。しかしながら、サンデー・タイムズ紙にはどのセーラーのスポンサーになればいいのかが分からなかった。当時、5人のセーラーが単独無寄港世界一周航海を計画していたことがきっかけとなり、同紙は単独無寄港世界一周ヨットレースとしてゴールデン・グローブ・レースを開催することとなった。このレースには参加資格やセーリングの経験の制限はなく、誰でもエントリーが可能となっていた。当時は参加申し込み時に単独航海技術のデモンストレーションを要求することが一般的で、ほかのヨットレースと比較すると対照的であった。ゴールデン・グローブ・レースの参加者は、1968年6月1日から10月31日の間にイングランド南端部に位置するファルマスを出港することが定められていた。これは、夏の間に危険な南極海を通過するために設定されていた。ゴールデン・グローブ・レースでは、最初に単独無寄港世界一周を達成した者にトロフィーが、最短日数で単独無寄港世界一周を達成した者には、5,000スターリング・ポンドが贈られることになっていた。当時の5,000スターリング・ポンドは、2016年現在の物価に換算すると約60,600スターリング・ポンドと同等である。また2013年時点の日本円で、約4,000万円程度の価値ともいわれる。 クローハースト以外のレースの参加者は、ロビン・ノックス=ジョンストン(英語版)(イギリス)、ナイジェル・テトリー(英語版)(イギリス)、ベルナール・モワテシエ(フランス語版)(フランス)、チャイ・ブライス(英語版)(イギリス)、ジョン・リッジウェイ(英語版)(イギリス)、ウィリアム・キング(英語版)(イギリス)、アレックス・カロッツォ(イタリア)、ロイック・フージュロン(フランス語版)(フランス)の8名であった。「タヒチ」の愛称で呼ばれたビル・ハウエルは著名な双胴船乗りで、1964年から1968年までのシングル=ハンデッド・トランス=アトランティック・レース(英語版)の優勝者であり、彼もゴールデン・グローブ・レースへの参加を表明していたが、結局レースに参加することはなかった。 ほかのレース参加者がすでにセーラーとして実績を残していたことや、著名なジャーナリストによる取材を受けたことから、一般人のアマチュアセーラーであるクローハーストが単独無寄港世界一周レースに挑戦するということが広く知れ渡った。このため、クローハーストは多くの応援を得て一躍人気者となった。 クローハーストは、デイリー・メールとデイリー・エクスプレスの犯罪記者、ロドニー・ホールワース(英語版)をPR活動責任者に起用している。
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