コンパック・ショックと98MATEシリーズの登場
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「PC-9821シリーズ」の記事における「コンパック・ショックと98MATEシリーズの登場」の解説
Windows 3.xの時代(Windows 3.0の発売は英語版1990年5月/日本語版1991年2月、Windows 3.1は英語版1992年4月/日本語版1993年5月)には、主要なビジネスアプリケーションが相次いでWindowsへと対応したほか、DOS/Vの登場により、コンパックの製品など日本語に対応しつつも廉価なPC/AT互換機による攻勢が相次ぐようになり、日本の国産機メーカー各社はこれらへの対応を迫られていった。 1992年(平成4年)9月初め、NEC府中事業所でPC-9801FAの後継となる新機種の仕様が提案された。これは上層部に却下されており、FAをベースにCPUのクロックを引き上げたものと推測された。その後、互換性を保ちつつアーキテクチャーを大幅に変更した新案が出され、10月下旬に新シリーズの最終仕様が決定された。 主力デスクトップ製品にはそれまでの型名だけでなく「98MATE」(ロゴでは「mATE」。通称で「Mate」と表記されることもある)という愛称が採用された。それまでのシリーズは「98FELLOW」という愛称になった。これにより、それまでの「40万円くらいがあたり前」だった商品構成を二つに分け、従来の価格帯はハイエンドのPC-9821シリーズ(MATE)が担い、PC-9801シリーズ(FELLOW)は大幅な価格改定で20万円前後の廉価モデルという位置づけとなった。これは、MS-DOSが依然として支配的でありながらもWindowsが普及しようとしていた当時、Windowsの使用も視野に入れたハイエンド・ユーザー層と、安価なMS-DOSマシンを求めるローエンド・ユーザー層の両方を獲得する狙いがあった。 また、従来のPC-9800シリーズはいかにも事務機然とした筐体デザインであったが、この時期に発売されたものは初代Macintoshのマウスや後にPalm Vなどのデザインを手掛けているIDEOにデザインを依頼し、大幅なデザイン改訂を受けながらもPC-9800シリーズ伝統のアローラインは残されており、外観においても新世紀のオフィスPCというコンセプトを踏襲している。 これら新機種の実施設計と生産はNECの子会社で行われ、98MATEはNEC群馬、98FELLOWはNEC新潟が担当。3ヶ月という当時としては異例の短期間で開発され、1月中旬には店頭展示品の製造が開始された。 PC-9821シリーズの第1.5世代とも言うべきPC-9821 Ap/As/Ae 等の98MATE Aシリーズは全機種ともCPUがIntel486搭載となり、初代機同様のグラフィック・サウンド仕様を踏襲した上、従来のCバスに加え、CPUの高速化をふまえ独自の32bit 98ローカルバス スロットを装備した。更に上位機種ではWindows環境上でより高解像度・高速・多色表示を実現するグラフィックアクセラレータを搭載した。 初代PC-9821も含め、基本的にPC-9801(CS/USやFA/FS/FX)の完全上位互換機であり、PC-9801向けに開発されたソフトは(自身の性能は持て余すことになるものの)ほぼ問題なく動いた。また物理ディップスイッチでPC-9801VM相当の性能とすることも可能となっている。ただし、PC-9821Ap/As/AeのHDD搭載モデルではコストダウンのためにFDDを1基搭載としたため、FDD2基を前提に開発されていた従前のソフト(特にゲームソフト)は、FDDを増設しないと動作できない事態になった。この為、HDD非搭載モデルとサード製HDDの組み合わせで購入するユーザーが続出し、結果的にNECはカットしたコスト以上に売上機会を逃すことになる。
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