ゲバラの戦死から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 04:37 UTC 版)
「ボリビア」の記事における「ゲバラの戦死から現在まで」の解説
1967年 バリエントス政権、アメリカ軍の協力の下にゲバラ軍を追い詰め、鉱山労働者がゲバラに同調することを嫌ってサン・フアンの虐殺を行う。そして農民の支持を得られなかったため、キューバ軍特殊部隊と共に潜入していたチェ・ゲバラがゲリラ戦の末、政府軍のアルフレド・オバンド・カンディア将軍に捕らえられイゲラで戦死。 1969年 バリエントス大統領が農民に金を配りに行く最中、謎のヘリコプター墜落事故で死亡。9月にかつてゲバラ討伐に当たったアルフレド・オバンド・カンディア将軍がクーデターを起こして政権を握り、ペルーのベラスコ将軍に影響を受けた「革命的国民主義」を掲げて国民主義知識人グループに誓った石油国有化政策を発表。ソ連との国交が樹立される。 1970年 軍内左派のフアン・ホセ・トーレス将軍が政権を掌握。アメリカ合衆国資本の鉱山の国有化や、国営のスズ精錬工場の建設がなされる。 1971年 8月にサンタクルス出身の右派のウゴ・バンセル将軍がアメリカ合衆国とブラジルの支援を受けたクーデターでトーレスを追放して政権を握る。外資を導入して経済の回復に努めるが、逆に赤字と債務が増加する。ランボルギーニは前政権との間で結ばれたトラクターの購入に関する契約を破棄されたことで資金難に陥り、フィアットの傘下に入った。 1978年 カーター合衆国大統領の「人権外交」の影響を受けて、ボリビアでも民主化へのプログラムが進む。 1980年 ガルシア・メサ将軍がクーデター「コカイン・クーデター」で政権を握るが、麻薬マフィアとの癒着、反対派への大弾圧により、国際的な批判を呼んだ。 1982年 MNRから民主人民連合 (Unidad Democrática y Popular : UDP)に分派したシレス・スアソが政権を執り、民政復帰。18年に及んだ軍政が終わる。この頃から中南米全体を襲った中南米債務危機に陥り、約40億ドルにも上る莫大な対外債務に苦しみ、激しいハイパーインフレーションが起こる。 1985年 第4次パス・エステンソロ政権成立するが、もうこの時には8000パーセントにも及ぶハイパーインフレ状態に陥っており、事実上通貨は紙切れ同然となってしまい、ボリビアは破綻状態に陥った。 1986年 ボリビア政府は苦渋の選択の末、ボリビアは100万分の1のデノミネーションで8,000%超のインフレを抑制。エステンセロは他にも新自由主義的改革により、経済危機を乗り切る。 1990年 この年代の中頃に天然ガス田が発見された。 1993年 MNRのゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ政権成立。初の先住民出身副大統領と共に新自由主義政策を採用した。 1997年 「メガ連立」により、第二次バンセル政権成立。コカの栽培の撲滅に全力を挙げる。 2000年 コチャバンバ水紛争 2001年 大規模な天然ガス田が発見される。コチャバンバ水紛争の影響と病気によりバンセル大統領が辞任。 2002年 8月にMNRから第二次サンチェス政権成立。しかし、すぐに指導力不足が露呈する。 2003年 ボリビアガス紛争。10月にサンチェス大統領がアメリカ合衆国に亡命。副大統領のカルロス・メサが昇格する。 2006年 ペルーのアレハンドロ・トレドに続いて南米大陸二人目の、ボリビアでは初の先住民出身となる大統領、エボ・モラレスが「社会主義運動」より就任した。 2007年 モラレス政権、ブラジルのペトロブラスなどの外資を国有化し、公約通り天然ガスを国有化した。 2009年 3月、大農場主から接収した土地の所有権を先住民に引き渡した。接収対象になった土地は東部平原地方。 2019年 10月の大統領選(英語版、スペイン語版)でモラレス大統領が再選されるも、不正選挙疑惑から抗議デモが勃発。大統領辞任。 2020年 11月、ルイス・アルセ元経済財政大臣、大統領就任。
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