ケネス・D・コックレルとは? わかりやすく解説

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ケネス・D・コックレル

分類:宇宙飛行士


名前::ケネス・D・コックレル(Kenneth D.Cockrell)
性別:男
国名:アメリカ
生年月日:1950年4月9日(テキサス州オースチン)
所属機関:アメリカ航空宇宙局(NASA)
飛行実績:スペースシャトル計画(STS-56/ディスカバリー号)(STS-69/エンデバー号)(STS-80/コロンビア号)

コックレルは3回宇宙飛行経験しているベテランで、1999年10月現在、NASA宇宙飛行士事務所長をつとめてます。
コックレルは1972年テキサス大学機械工学科卒業しアメリカ海軍で任務につくかたわら1974年西フロリダ大学航空システム学の修士取得しました海軍でパイロットとして訓練積んだ後、79年海軍テストパイロット学校卒業さまざまな飛行機飛行テスト行いました1987年にはジョンソン宇宙センター(JSC)の航空機操縦部門着任NASAパイロット教官として飛行術教えたりT-38飛行機飛行チェック行ったりしています。
宇宙飛行士として選ばれたのは1990年1月で、1991年7月訓練完了地上勤務では、宇宙飛行操縦技術開発部門部門長担当しました。コックレルは2000年飛行予定STS-98船長で、国際宇宙ステーション組立て完了させ、初のステーション乗組員宇宙に運ぶことになってます。
素顔の彼は2人の子どものパパで、スキー水上スキーテニス趣味にしています。

1.同じロケット衛星乗った宇宙飛行士はいるの?
STS-56(ディスカバリー号1993年4月8日打ち上げ)では、ケネス・D・キャメロン、スティファン・S・オズワルドマイケル・フォール、エレン・オコアと同乗しました
STS-69(エンデバー号1995年9月7日打上げ)では、デビッド・M・ウォーカージェームズ・S・ヴォスマイケル・L・ゲーンハート、ジェームズ・H・ニューマン同乗しました
STS-80(コロンビア号1996年11月19日打ち上げ)では、ケント・V・ロミンガー、タミー・ジャーニガン、トム・ジョーンズ、ストーリー・マスグレーブと同乗しました

2.宇宙どのようなことをおこない、どんなことに成功しているの?
STS-56(ディスカバリー号)では、大気実験室ATLAS-2が宇宙運ばれ地球の気候環境太陽が及ぼす影響調べるための実験が行われました一連の実験では、太陽観測衛星スパルタン201放出と再回収をはじめ、太陽紫外線後方撹乱調査(SSBUV)などが行われています。またアマチュア無線実験なども行われました。コックレルはミッション・スペシャリストとして多数実験行ってます。
STS-69(エンデバー号)では、太陽観測衛星スパルタンと、WSF(Wake Shield Facility)の放出と再回収が行われましたWSFは、宇宙無重力空間で、半導体高温超伝導体作ったり、真空状態作れ素材研究するための実験装置です。この飛行では、コックレルはパイロットとしてシャトル操縦担当しました
STS-80(コロンビア号)では、WSF極紫外線スペクトル分析衛星ORFEUSの宇宙空間への放出と再回収が行われました今回WSFは、半導体ハイテク電子部品作り込むための薄いシリコンフィルムを製造するための実験行いました。またORFEUSは極紫外線分析することにより、星の組成と構造調べるのが目的です。コックレルは船長(コマンダー)として乗員指揮にあたりました。

3.どれくらい時間宇宙飛んでいるの?
STS-56(ディスカバリー号1993年4月8日打ち上げ)では9日6時間9分、STS-69(エンデバー号1995年9月7日打ち上げ)では10日20時間28分、STS-80(コロンビア号1996年11月19日打ち上げ)では17日15時53分、宇宙滞在してます。


ケネス・コックレル

(ケネス・D・コックレル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 10:38 UTC 版)

ケネス・コックレル
NASA宇宙飛行士
国籍 アメリカ人
現況 引退
生誕 (1950-04-09) 1950年4月9日(72歳)
オースティン (テキサス州)
他の職業 テストパイロット
階級 アメリカ海軍大尉
宇宙滞在期間 64日12時間24分
選抜試験 1990 NASA Group
ミッション STS-56, STS-69, STS-80, STS-98, STS-111
記章

ケネス・コックレル(Kenneth Dale "Taco" Cockrell、1950年4月9日-)は、アメリカ合衆国宇宙飛行士、技術者で、5度のスペースシャトル計画のミッションに参加した。1997年から1998年には、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士室長を務めた[1]

NASA以前のキャリア

テキサス州オースティンでビュフォード・デイル・コックレルとジュエル・モーマンの間に生まれた。1968年に同州ロックデールのロックデール高校を卒業した。1972年にテキサス大学オースティン校機械工学の学士号を得て、同年にアメリカ海軍に任官された。1974年にウェストフロリダ大学で航空システムの修士号を得た。パイロットとしての訓練を積み、1975年から1978年には、航空母艦ミッドウェイに乗った。その後、テストパイロットを数年間務めてから、コンステレーションで2年間の遠征に出た。1987年に海軍を除隊し、ジョンソン宇宙センターにリサーチパイロットとして加わった。

NASAでのキャリア

1990年1月にNASAに選ばれ、1991年7月に宇宙飛行士になった。日々の業務としては、宇宙飛行士室で着陸、ロールアウト、タイヤやブレーキの課題についての運用開発、ミッションコントロールセンターで効果や大気圏再突入の支援、飛行データファイルについての宇宙飛行士室の代表、スペースシャトルに積み込む膨大な手順書等を担当した。また、シャトルの運用やハードウェア担当の宇宙飛行士室長補佐、宇宙飛行士室長も務めた。また、1年間、ロシアのスターシティの運用ディレクターも務め、NASAの宇宙飛行士室と、スターシティのガガーリン宇宙飛行士訓練センターの訓練組織の間のリエゾンの役割を果たした。現在は、T-38の教官も務めている。

5度の宇宙飛行を経験し、1560時間以上を宇宙で過ごした。1993年4月のSTS-56ではミッションスペシャリスト、1995年9月のSTS-69では操縦手、1996年11月から12月のSTS-80、2001年2月のSTS-98、2022年6月のSTS-111では船長を務めた。

2006年2月からは、エリントンフィールド予備役合同基地で、WB-57高高度研究計画のマネージャーを務めた。NASAの持つ2機のWB-57F研究機を運用し、研究飛行ではパイロットも務めた。さらに、宇宙飛行士の飛行訓練において、T-38の教官も務めた。

宇宙飛行経験

STS-56

STS-56のミッション中のコックレル

ATLAS-2を運んだSTS-56の9日間のミッションは、スペースシャトル・ディスカバリーを用いて行われ、宇宙飛行士は、太陽活動の地球の気候や環境への影響をより理解するために、大気や太陽の研究を行った。1993年4月8日に打ち上げられ、4月17日に着陸し、ミッション期間は9日と6時間9分21秒だった[2]

STS-69

STS-69は、スペースシャトル・エンデバーを用いて行われた10日間のミッションで、主目的はSPARTAN衛星とウェークシールドファシリティの展開と回収であった。後者は、自由浮遊プラットフォーム上で宇宙船の後方に生じる超高真空を用いることで、半導体や高温超伝導体、その他の材料の成長に効果があるか評価するために設計された。1995年9月7日に打ち上げられ、9月18日に着陸し、ミッション期間は10日間と20時間28分であった[3]

STS-80

STS-80は、スペースシャトル・コロンビアを用いて行われた17日間のミッションで、ウェークシールドファシリティとORFEUS衛星を展開、回収した。ORFEUSの機器は、再利用可能なシャトル・パレット衛星に搭載され、恒星の起源や形成についての研究が行われた。1996年11月19日に打ち上げられ、12月7日に着陸し、ミッション期間は17日間と15時間53分であった[4]

STS-98

デスティニーのラックのカーテンから顔を出すコックレル船長

STS-98は、スペースシャトル・アトランティスを用いて行われた12日間のミッションで、国際宇宙ステーション(ISS)の建設が継続され、アメリカの合衆国の研究モジュールデスティニーが運ばれた。デスティニーが設置される7日間、スペースシャトルはISSとドッキングし、3度の船外活動が行われた。ドッキングポートが移され、第1次長期滞在の乗組員に補給品や設備も運ばれた。2001年2月20日に打ち上げられ、2月20日に着陸し、ミッション期間は12日間と21時間20分であった。フロリダ付近の悪天候のため、着陸場所はエドワーズ空軍基地に変更となった[5]

STS-111

STS-111は、スペースシャトル・エンデバーを用いて行われた13日間のミッションで、ISSへの新しい滞在者と、カナダ製のロボットアームのためのモバイルベースが運ばれた。また、ロボットアームの関節を取り換える修理が急遽行われた。ISSに研究設備を運ぶ2度目のミッションであり、第4次長期滞在で6か月半滞在した乗組員を地球に帰還させた。2002年6月5日に打ち上げられ、6月19日に着陸し、ミッション期間は13日間と20時間35分であった。フロリダ付近の悪天候のため、着陸場所はエドワーズ空軍基地に変更となった[6]

受賞

コックレルは、w:National Defense Service Medalw:United States Naval Aviatorw:United States Astronaut Badge等を受章している。

私生活

テキサス州フレンズウッドで暮らし、2人の子供がいる。趣味は、飛行機の操縦、スキー、ウォータースキー等である。同僚宇宙飛行士からは、"taco"とあだ名されている。

出典

  1. ^ Kenneth D. Cockrell (PDF)”. Biographical Data. Houston, Texas: NASA (2018年1月). 2021年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月7日閲覧。
  2. ^ STS-56”. Mission Archives. NASA (2010年3月31日). 2021年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月6日閲覧。
  3. ^ STS-69”. Mission Archives. NASA (2010年4月1日). 2021年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月7日閲覧。
  4. ^ STS-80”. Mission Archives. NASA (2007年11月23日). 2021年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月6日閲覧。
  5. ^ STS-98”. Mission Archives. NASA (2010年2月15日). 2021年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月7日閲覧。
  6. ^ STS-111”. Mission Archives. NASA (2010年2月16日). 2021年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月7日閲覧。

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