クラシック音楽での使用
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ベルリオーズの「幻想交響曲」(1830年)の第5楽章、リストの「死の舞踏」(1849年)に引用されてから「死」をあらわすものとしてクラシック音楽の作曲家によってしばしば引用されるようになった。他に「怒りの日」の旋律を用いた音楽の例として下記のものが挙げられる。 アントワーヌ・ブリュメル:「死者のためのミサ曲」(1500年ごろ) ジョアン・セレロルス:「死者のためのミサ曲」(17世紀) アルカン:「3つの悲愴的な様式による3曲」作品15(1837年)の第3曲「死んだ女」 チャイコフスキー:「6つの歌」作品16(1872年)の第6曲「新しいギリシアの歌」、組曲第3番(1884年)第4楽章、「マンフレッド交響曲」(1885年)第4楽章 サン=サーンス:「死の舞踏」(1874年) マーラー:交響曲 第2番 "復活"(1894年) グラズノフ:組曲『中世より』作品79のスケルツォ(1902年) ドホナーニ:「4つの狂詩曲」作品11(1903年)の第4番 ラフマニノフ:「交響曲第2番」(1907年)、「鐘」(1913年)、「徹夜禱」(1915年)、「パガニーニの主題による狂詩曲」(1934年)、「交響的舞曲」(1940年) アーネスト・シェリング:「戦勝記念舞踏会(A Victory Ball)」(1923年) イザイ:「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番」(1924年) ショスタコーヴィチ:劇付随音楽『ハムレット』(1932年)から「レクイエム」 アルテュール・オネゲル:オラトリオ「死の舞踏」 作品番号H.131(1938年)から第2曲「死の舞踏」 ダッラピッコラ:「囚われの歌」(1938-41年) ハチャトゥリアン:交響曲第2番「鐘」(1943年)第3楽章 ソラブジ:「怒りの日によるセクェンツィア・シクリカ」(1948-49年) ドアティ:「メトロポリス・シンフォニー」(1988-93年)第5楽章
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クラシック音楽での使用
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「ヴォルガの舟歌」の記事における「クラシック音楽での使用」の解説
『ヴォルガの舟歌』の編曲は無数にある。とくに有名なものをいくつかあげると アレクサンドル・グラズノフによる合唱と管弦楽用の編曲(1905年) イーゴリ・ストラヴィンスキーによる管楽器と打楽器用の編曲(1917年)。1917年春にバレエ・リュスがローマで公演したときに国歌のかわりに演奏されたもの。自伝によると、当時の公演は国歌の演奏ではじまるのを原則としたが、当時二月革命によってニコライ2世が退位したばかりであり、『神よツァーリを護り給え』では時宜に合わなかったために、セルゲイ・ディアギレフからの依頼によって国歌の代用として急遽編曲された。時間がなかったためにストラヴィンスキーがピアノの前に座ってオーケストレーションを口述し、それをエルネスト・アンセルメが書きとって翌日のリハーサルに間に合わせたという。リチャード・タラスキンによると、この曲を国歌として使用したのはディアギレフの発案ではなく、アンドレイ・リムスキー=コルサコフ(ニコライ・リムスキー=コルサコフの子)の意向にもとづいて当時のロシア臨時政府が直接依頼してきたものである:1183-1189。 マヌエル・デ・ファリャによるピアノ独奏用の編曲(1922年、没後に初演)。 『ヴォルガの舟歌』はしばしば他の曲の中に使用されている。 ピョートル・チャイコフスキー:ピアノ連弾曲『50のロシア民謡』(1868-69年)第49曲が『ヴォルガの舟歌』である。 エドゥアルド・ナープラヴニーク:ピアノと管弦楽のための『ロシア幻想曲』作品39(1881年) アレクサンドル・グラズノフ:交響詩『ステンカ・ラージン』(1885年) ウンベルト・ジョルダーノ:歌劇『シベリア』(1903年)第2幕 ヴャチェスラフ・カラトゥイギン(ロシア語版):オルガン独奏曲『ロシア風前奏曲とフーガ』(1914年)のフーガ部分の主題に使用
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