クハ10形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:46 UTC 版)
クハ10 1949年(昭和24年)10月に国鉄よりキハ41000形41120の払い下げを受け、翌1950年(昭和25年)5月認可で導入したものである。国鉄キハ41120は1935年(昭和10年)9月に川崎車輌(現・川崎重工業)において新製されたもので、国鉄における最終配置は大館機関区であった。 車体は全長16,350mmの半鋼製車体で、導入に際しては床下の内燃機関撤去ならびに主抵抗器の新設など電車用機器の整備が実施され、電車の制御車として竣功した。また、直接制御器など運転機器は五泉側妻面にのみ設置され、村松側妻面の前照灯・標識灯は撤去された。その他車体関連についてはほぼ原形のまま竣功し、車内はボックスシート仕様、窓配置は1D(1)14(1)D1(D:客用扉、数値は側窓の枚数、カッコ内は戸袋窓)でキハ41000形当時と変わらず、台車も内燃動車用軸ばね式菱枠台車TR26をそのまま装着した。 その後1958年(昭和33年)5月に車内暖房装置を新設したのち、1961年(昭和36年)1月に西武所沢工場において五泉側妻面の3枚窓構造化・乗務員扉新設・村松側妻面への貫通路ならびに貫通幌新設・客室内照明の蛍光灯化・客用扉へのドアエンジン取付などが施工され、外観上大きな変化が生じた。さらに1967年(昭和42年)6月には同じく西武所沢工場において窓枠のアルミサッシ化・客用扉窓および戸袋窓など固定窓のHゴム固定支持化ならびに間接非自動制御化が施工されている。なお、新設された貫通路は通常締切扱いとされ、活用される機会はなかった。 路線縮小以降は前述モハ71と貫通幌を接続した半固定編成を組成し、改造後25年余を経過してようやく村松側連結面の貫通路・貫通幌の設備が活用されることとなった。半固定編成化後は朝ラッシュ時の限定運用を中心に充当され、国鉄キハ41000形(04形)気動車を出自とする車両としては最後の現役車両として、全線廃止まで在籍した。
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