ガンディーの登場とジンナーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ガンディーの登場とジンナーの意味・解説 

ガンディーの登場とジンナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:13 UTC 版)

ムハンマド・アリー・ジンナー」の記事における「ガンディーの登場とジンナー」の解説

1915年モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー南アフリカより帰国しビハール州インディゴ栽培業者との闘争アフマダーバード工場経営者との闘争グジャラート納税拒否闘争指導したガンディー20年間、南アフリカ展開してきた非暴力不服従方式踏襲していた。ガンディー他の国民会議派の指導者とは異なり洋服を着ることはなかったし、英語に代わりインドの言語使用したまた、ヒンドゥー教義忠実であった。そのため、ガンディー指揮する独立運動インドヒンドゥーの間で多く支持集めた。 もっとも、ガンディー運動は、カルカッタ(現コルカタ)、ボンベイ(現ムンバイ)、マドラス(現チェンナイ)といった大都市出身の、1920年以前国民会議派社会的エリート層からは支持されなかった。彼らは、合法的な抵抗運動支持しながらも、社会的な恩恵にあずかれる司法機関立法機関役職勤めていたからである。また、各地藩王国人口密度少な中央インド山間部に住む人々や、職人カースト土地持たない最下カースト所属する人々ガンディー運動無縁であったガンディー行動に対しては、マハーラーシュトラ州ティラク支持者1920年ティラク死亡するまで賛同しなかった上、詩人ラビンドラナート・タゴールガンディー行動1つの狭い分野固執しているとして嫌悪していた。 このような中で、ジンナーもまたガンディー運動批判した1920年国民会議派脱会した。ジンナー政治運動根底には穏健派ゴーパール・クリシュナ・ゴーカレーGopal Krishna Gokhale)と行動ともにするうち身に着け政治理念があり、よって抵抗活動合法的に展開するものであり不穏当な大衆運動支持しない方針であったのが理由である。また、ガンディー運動は、イスラームヒンドゥーという2つ共同体によって構成されているインドが完全に2つ割れてしまう可能性孕んでいると考えてもいた。ジンナーは、ムスリム連盟の代表になったが、そのために連盟内の派閥争い(親英派VS新国民会議派)に巻き込まれざるをえなくなった1927年にはイギリス人のみで構成されサイモン委員会対抗する一方で将来憲法起草のためムスリムヒンドゥー指導者間の交渉入った1928年国民会議派指導していたネルーの手によって「ネルー報告」がまとめられた。この報告において、インド即時独立主張する一方でムスリムに関して分離選挙実施するという1916年国民会議派約束反故し、また議会ムスリムのための議席数を確保することも否定されていたため、ムスリム側は到底この報告書提案認めることはできなかった。当時ジンナーは、議会3分の1議席数がムスリム側に留保されること、移譲ししかるべき権限中央政府から地方政府移譲されるのであれば分離選挙断念してもよいと考えていた。そのため、1929年3月28日ジンナー14条(en)を発表することで両陣営妥協図ろうとした。しかし、ジンナー提案は、国民会議派や他の政党から反対受けたヒンドゥー側との対立深めていた時期ジンナー私生活様々な困難に直面していた。その背景にはジンナー政治的活動が活発であったことがあり、ジンナーヨーロッパ旅行などをすることで夫婦間の関係を保とうとした。しかし、結婚生活1927年破局。さらに1929年離婚した妻が重病患い亡くなるとジンナー悲しみにくれた。 1931年ロンドン円卓会議開催された。しかし、ジンナーは、ガンディー批判する同時に会議始まり段階で既に幻滅していたとされるムスリム連盟内部一枚岩ではなくジンナー政治表舞台から退場しイギリスで再び法律世界で働くことを決めたまた、以降ジンナー生涯において妹ファーティマ・ジンナーがもっと親密助言者となる。ファーティマは、ジンナーの娘ディーナー出産助けていた。しかし、後にディーナーゾロアスター教徒家系出身クリスチャンビジネスマン結婚すると、ジンナーと娘の関係は疎遠なものとなっていた。

※この「ガンディーの登場とジンナー」の解説は、「ムハンマド・アリー・ジンナー」の解説の一部です。
「ガンディーの登場とジンナー」を含む「ムハンマド・アリー・ジンナー」の記事については、「ムハンマド・アリー・ジンナー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ガンディーの登場とジンナー」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ガンディーの登場とジンナー」の関連用語

ガンディーの登場とジンナーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ガンディーの登場とジンナーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのムハンマド・アリー・ジンナー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS