イランのイスマーイール派とハサニ・サッバーフとは? わかりやすく解説

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イランのイスマーイール派とハサニ・サッバーフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 10:24 UTC 版)

ニザール派」の記事における「イランのイスマーイール派とハサニ・サッバーフ」の解説

11世紀以降サーマーン朝衰退後中央アジアからイラン東部にかけて教勢伸ばしたイスマーイール派は、1070年ころにはダイラム(Daylam)からホラーサーンにいたる地域で、勢力蓄えていた。この時期セルジューク朝確立期にあたっており、スンナ派正統性強く主張するセルジューク朝は、イスファハーン近郊からセルジューク朝領域指揮するダーイー・アブドゥルマリク・イブン・アッターシュのイスマーイール派対す圧力強めつつあった。これに対しイスマーイール派1090年ハサニ・サッバーフによるダイラムアラムート城砦(英語版奪取皮切りに各地公然とセルジューク朝対す反抗開始しセルジューク朝イスマーイール派拠点包囲など大規模な鎮圧乗り出していた。しかしセルジューク朝1092年宰相ニザーム・アル=ムルク暗殺され、さらにスルタン・マリク・シャーが没する内乱状態に陥ってしまう。イスマーイール派はこれに乗じてイラン各地山岳城砦などを攻略し確固たる地歩を築くことになる(なお、ニザーム・アル=ムルク暗殺に関しては『集史以降イスマーイール派よるものともいわれるが、実情不明である)。 この状況の中で活躍し1094年ころまでにイラン方面イスマーイール派頭角現したのがアラムート城砦を本拠としたハサニ・サッバーフである。ハサニ・サッバーフ1081年エジプトから帰還して、イラン各地旅し1085年ころからダイラム活動始めた1090年にはアラムート城砦を奪取イスマーイール派イラン各地にダーイーを派遣してアラムート同様に山岳城砦中心とした防備堅い渓谷など自治的領域形成するという手法によってセルジューク朝対抗したこのような領域イラン北部アルボルズ山中イラン南部フーゼスターンからファールスにかけてのザーグロス山中、そしてホラーサーン東部のクヒスターン(英語版)(Quhestan)などの地域各所形成された。またセルジューク朝支配下地域でも、イスマーイール派点在し都市においてもイスマーイール派信徒存在した。彼らはシーア派タキーヤ信仰秘匿)の伝統従い表向きスンナ派信徒として振る舞う一方イスマーイール派であることを明らかにして戦う諸地域への援助行っていた。この戦略強大な軍事力をもつ一方で都市統治者ごとの分権傾向がつよいセルジューク朝に対して非常に有効に機能した。こうしてイスマーイール派イラン高原自治領域を連ねて政治勢力形成することに成功するイスマーイール派同時にフィダーイー英語版)(自己犠牲辞さない者という意味)による暗殺という手段用いて敵対有力者排除も辞さなかった。このためスンナ派立場重視する住民のあいだでは蛇蝎如く忌み嫌われることになった暗殺教団言説におけるさまざまな伝説素地はここにある。後代史料ではこの時期暗殺はすべてイスマーイール派およびニザール派に結びつけられる傾向があるが事実として明らかになっているわけではない。また暗殺者動機付けのための大麻使用については、アラビア語・ペルシア語などのスンナ派側の敵対的後代史料でも言及されておらず事実とはできない。(詳細暗殺教団参照)。 1095年ファーティマ朝におけるイマームカリフ位を巡る争いで、ハサニ・サッバーフをはじめイラン方面イスマーイール派は、ニザール支持した。この要因ハサンエジプト滞在時に当時宰相バドル・アル=ジャマーリー(ニザールかわってムスタアリーカリフとした宰相アフダルの父で、ムスタアリー義父)と確執生じたため、と説明することもあるが、これは伝承の域を出ず実情としてのニザール支持背景は必ずしも明らかではない。しかし、イラン地域現地ダアワはセルジューク朝との激しい対立関係の中で苦闘し独自に確固たる地歩築いてきた。さらにセルジューク朝との対立関係背景には地元民の反テュルク傾向もあった。こうしたイラン現地のダーイーたちがカイロのダアワに対す発言力強め、ここにいたって独立ダアワを志向したとする説明も可能である。彼らはエジプトでのニザール支持派早期衰退対しイラン方面アラムート中心に長期にわたる政権を築くことになる。

※この「イランのイスマーイール派とハサニ・サッバーフ」の解説は、「ニザール派」の解説の一部です。
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