イランにおける変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 02:10 UTC 版)
「カリーラとディムナ」の記事における「イランにおける変遷」の解説
最古のペルシア語訳は10世紀の詩人ルーダキーがアラビア語から訳したものだとされているが、詩の大部分は失われている。 12世紀にガズナ朝のバフラーム・シャーに奉げられたナスルッラーの作品がルーダキー版に次いで古いペルシア語訳と考えられている。ナスルッラーは作中に新たにアラビア詩を挿入し、クルアーンとハディースの語句を引用した。数あるペルシア語の訳本の中でも、ナスルッラー版は最も評価が高く、雄弁の規範とされている。ナスルッラー版は多くの写本が作られたが、誤記、改竄、新たな物語の挿入により、原本と異なるものとなった。 15世紀末にはホセイン・ワーイズ・カーシュフィーにより『天蓋の光』の題で訳され、アブル・ファズルはムガル皇帝アクバルに『知識の試金石』と題した本を献呈した。 イラン・イスラム共和国においては、『カリーラとディムナ』は学校の教材として使用されている。
※この「イランにおける変遷」の解説は、「カリーラとディムナ」の解説の一部です。
「イランにおける変遷」を含む「カリーラとディムナ」の記事については、「カリーラとディムナ」の概要を参照ください。
- イランにおける変遷のページへのリンク