イタリア、ロシアとの比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)
「明治維新」の記事における「イタリア、ロシアとの比較」の解説
「最後の講座派」と呼ばれた中村政則は、1848年革命においてブルジョワジーは民衆運動に対して保守化し、イギリスやフランスのブルジョワ革命は終焉するとともに、後進国においては英仏型ブルジョワ革命の実現する条件は失われたため、明治維新を英仏型革命と比較するよりも、近代世界システム論でいう半周辺的資本主義国家群に属する日本は、同じ半周辺国家群に属するイタリア、ロシアと比較した方がよいと中村はいう。19世紀イタリアではリソルジメント(統一)運動が、ロシアでは1861年の農奴解放以降、近代化改革が実施された。ロシア帝国の歴史#大改革と革命の胎動(1855年 - 1881年)を参照。 ウォーラーステインの近代世界システム論では、次の三つに分類される。 中核的資本主義国家群:イギリス・フランス・アメリカの先進国 半周辺的資本主義国家群:イタリア、ロシア、日本、ハンガリー、ポーランド 周辺的国家群:インド、中国、南アメリカ諸国 以下、主に中村(1986)に基づく ロシア 日本権力1861年のロシアの改革では権力の移動はなかった。 明治維新では権力の移動があった。新政府は古代以来の伝統的権威を持つ天皇を頂点にした(王政復古)ので、中村は「未完の政治革命」であったとする。 近代化と工業化1860年代から70年代にかけて工業化、金融、財政改革をすすめ、ゼムストヴォ(地方自治機関)の設立、司法・学制・軍事改革などの近代化を行ない、資本主義が確立した。 徳川時代の身分制を廃止(四民平等)、司法・学制・軍事改革など諸制度の近代化と工業化による資本主義が発展した。 土地1861年から1883年まで続いたロシアの土地改革(農奴解放)では、解放後も貨幣負担が大きく、耕地割替規制も残っていた。巨大地主と大地主とで国土の53%を所有しており、土地所有の構成表はピラミッド型であった。 廃藩置県と秩禄処分、さらに地租改正によって封建的土地所有を廃止した。土地所有の構成表は逆ピラミッド型で、小地主がもっとも多く土地を所有していた。地租改正でも寄生地主制は維持され、小作人の所得は低かったが、戦後1946年から農地改革が実施された。 財政人頭税や地租などの直接税の比重が10-20%、関税収入が9-16%。保護関税政策を実施した。(付記:イギリスの税収は消費税と関税で60%、地租は5%) 税収の60-92%が地租に依存。関税収入は4-6%。日本は1911年の条約改正まで関税自主権がなかった。 外国資本率フランス、ベルギー、ドイツ、イギリスなどの外国資本率が1900年で83.7%を占めた。 外国資本率は1900年でわずか9.5%。日本では商人資本が重要な地位を占め、東京-横浜鉄道経営権をポートマンから取り戻したり、日本抗法で外国人の鉱山所有権を禁止した。 イタリアでの改革の主導権は大土地貴族と大ブルジョワジーであったため、農業革命、土地改革が欠如していた。また農工保護関税によって、北部のブルジョワジーと南部の大土地所有が温存され、南北の格差構造も発生した。 ロシア、イタリア、日本の共通点として、集権的権威主義的国家体制のもとで資本主義的工業化が急速に推進され、先進地域と遅れた地域との構造を残したこと、民衆の政治的権利が抑圧されたことなどがある。 中村はイタリアのアルベルト憲法、ロシア帝国憲法との比較を踏まえ、明治日本の憲法は、絶対主義的性格と立憲主義的性格を併せ持つ「絶対主義的立憲制」と規定した。
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