イギリス軍の作戦
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「サリバン島の戦い」の記事における「イギリス軍の作戦」の解説
北アメリカのイギリス軍は1775年の間、主にボストン包囲戦で釘付けになっていた。1776年になってからより支配を強化できる作戦基盤を求めて、南部植民地への遠征を計画した。当時ボストンにあったヘンリー・クリントン少将はノースカロライナのケープフェアに移動して、そこでノースカロライナの田園部で起ち上げられた大半がスコットランド系のロイヤリスト部隊、およびチャールズ・コーンウォリス少将が指揮するアイルランドからの正規軍2,000名と合流しようとした。 この作戦は最初から躓いた。アイルランドの遠征軍は当初1775年12月初めに出発することが期待されていたが、兵站の問題で遅れた。総勢2,500名となったその部隊は1776年2月13日になって、ピーター・パーカー提督の指揮する11艦の艦船に護衛されて出発した。クリントンは1月20日に軽歩兵2個中隊と共にボストンを出発し、先ずニューヨーク市に立ち寄ってニューヨーク植民地の総督ウィリアム・タイロンと会合した。大陸軍のジョージ・ワシントンはチャールズ・リー少将をニューヨーク市の防御度を視察するために派遣した。リーは偶然クリントンと同じ日にニューヨーク市に到着した。当時のニューヨーク市は著しく緊張が高まっていた。パトリオットの部隊はロイヤリストの武装解除と強制退去を始めており、ニューヨーク港に停泊するイギリス艦隊は糧食を得るために困難な状況だった。それにも拘わらず、クリントンはその標的が南部にあることを隠そうとしなかった。リーはこのことを知り、これは「確かに滑稽なやり方だ。敵に全ての作戦を報せるなんてあまりに新しすぎて信用できない」と語った。これは植民地人が南部への遠征について知った初めての機会ですらなかった。12月に押収された文書では既にイギリス軍が南部に向かう作戦を立てているという情報が得られていた。 クリントンは5月12日にケープフェアに到着したが、この時ヨーロッパからの護送船団がそこにいるものと期待していた。クリントンはノースカロライナ総督ジョサイア・マーティンとサウスカロライナ総督ウィリアム・キャンベルと会見し、徴兵したスコットランド系ロイヤリストの部隊が2週間前のムーアズクリーク橋の戦いで敗北したことを知った。クリントンはジョージア植民地総督ジェイムズ・ライトからも援助の約束を得ていたが、ライトは逮捕され、その後に海軍の艦船に逃亡していた。 パーカーの艦隊は大西洋を横切るために極度に難渋していた。嵐や荒海に災いされ艦隊の最初の艦船がケープフェアに到着したのは4月18日のことであり、コーンウォリスは5月3日になって到着した。その海域でイギリス軍がパトリオットの資産を襲撃した後、クリントン、コーンウォリスおよびパーカーはケープフェアが今後の作戦展開に適した場所ではないと結論づけた。パーカーが数艦の艦船を海岸の南北に派遣して偵察させ、チャールストンの防御が部分的にしか完成していないという報告があり、そこが有望だったのでチャールストンに向かうことにした。
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イギリス軍の作戦
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「バンカーヒルの戦い」の記事における「イギリス軍の作戦」の解説
5月の間で、イギリスはゲイジからの支援要請に反応して援軍を送り、勢力は約6,000名に達していた。5月25日、ウィリアム・ハウ、ジョン・バーゴインおよびヘンリー・クリントンの3将軍がフリゲート艦サーベラス(英語版)に乗ってボストンに到着した。ゲイジは彼らと市の包囲を破る作戦を立て始め、6月12日には最終案を作った。この作戦はドーチェスター・ネック(Dorchester Neck)を占領することに始まり、ドーチェスター高地(英語版)を要塞化した後にロクスベリー(Roxbury)に駐屯する大陸軍に向けて進軍するという手筈だった。ドーチェスターのある南側を抑えれば、チャールズタウンの高地は容易に奪取でき、ケンブリッジの大陸軍を追い出すことができるという算段だった。攻撃開始は6月18日に定められた。 6月13日、マサチューセッツ植民地議会(英語版)は、ニューハンプシャー植民地エクセターの安全委員会(英語版)からの急使によって以下の情報がもたらされた。「とあるニューハンプシャーの『信頼に足る』紳士がボストン滞在中に、イギリス軍の指揮官たちはドーチェスターとチャールズタウンを占領する作戦を立てている、という話を漏れ聞いた」。6月15日、マサチューセッツ安全委員会はさらなる防御線を構築する必要性があると判断した。ウォード将軍はイズラエル・パットナム将軍に、チャールズタウン半島、特にバンカーヒルに防御工作を行うよう指示した。
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