アメリカ統治の終了
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「アメリカ施政権下の小笠原諸島」の記事における「アメリカ統治の終了」の解説
「本土復帰」も参照 小笠原諸島をめぐる日米間の返還交渉は1950年代から行われており、アメリカ国務省は条件付きながらも小笠原諸島返還に前向きであった。1956年(昭和31年)、駐日大使となったジョン・ムーア・アリソンは国務長官に就任したダレスに対し、「個人的には、日本が十分な海軍力を整えれば、直ぐに小笠原諸島を返還することが日本とのパートナーシップの構築へ貢献できると思う」と述べている。また同じ年、アメリカ国務省日本担当官であったジェームズ・マーティンJr(James V.Martin Jr)は「米国が琉球と小笠原諸島の返還に積極的でないのは、日本が中立主義に傾く可能性への恐怖である」と外務省の駐米一等書記官に話している。しかし、アメリカ国防総省の反対によって小笠原諸島返還交渉は遅々として進まなかった。 1967年(昭和42年)5月23日、三木武夫外務大臣は参議院予算委員会第2分科会の答弁において、「小笠原の返還、この問題についてはいろいろ軍事的な施設もあるとは思うけれども、沖縄とは多少軍事施設についても差があることは事実だろうから、今後とも小笠原の返還については、政府として努力していきたいと考えている」と発言し、翌日の記者会見でも日本政府としては小笠原と沖縄の問題を分けて考えることは悪い考えではないという見解を示した。これを受けて、アメリカ政府は駐日大使のウラル・アレクシス・ジョンソン(Ural Alexis Johnson)を通して秘密協議の場を設けることを決め、7月に三木とジョンソンは東京のホテルニューオータニで秘密協議を行った。この秘密協議で、沖縄と比較して小笠原諸島の軍事的価値が微々たるものであることについては両者合意したが、小笠原諸島返還によって沖縄返還への圧力が高まる可能性があるとして、ジョンソンは小笠原諸島返還に慎重な立場をとった。11月の佐藤栄作首相訪米を前に、日本では小笠原諸島と沖縄返還について関心が高まる中、9月に訪米した三木はロバート・マクナマラ(Robert Strange McNamara)国防総省長官と会談し、マクナマラは小笠原諸島の返還は沖縄返還よりも容易であることを認めた。 共同宣言起草に向けた日米協議は10月11日から始まった。この時点でアメリカ政府は、小笠原諸島返還についての最終決定を下していなかったが、硫黄島を小笠原諸島から切り離す提案をした。日本側はこれを認めず、代替案として基地の継続使用と自衛隊をシーレーン防衛の支援に投入することを提案した。これを受けて、アメリカ政府は11月3日に、小笠原諸島返還に関する日本との協議を速やかに開始することを決定し、返還後の軍事基地使用継続や沖縄の即時返還要求に対する圧力の緩和などが返還の条件とされた。 1967年(昭和42年)11月15日、佐藤栄作首相とリンドン・ジョンソン大統領が会談した結果、日米間で南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(米国との小笠原返還協定)が締結された。翌1968年(昭和43年)4月5日には日米間で本協定が締結・調印され、5月22日、採決を棄権した日本共産党を除き、全会一致で国会の承認を受けた。 返還に先立って、1967年(昭和42年)12月8日に「小笠原復帰対策本部」が設置された。翌1968年(昭和43年)1月18日には、海上自衛隊の護衛艦たかつきと海上保安庁の巡視船いずが父島に派遣され、30人あまりの代表団が10日間にわたって島民への聞き取りなどの現地調査を行った。また反対に、小笠原諸島代表委員会から代表3名が東京に招待された。 そして6月26日正午(日本標準時)、父島のアメリカ海軍司令部前で返還式典が行われ、小笠原諸島は日本に復帰した。返還後、欧米系島民には3年間の国籍猶予期間が与えられたため、アメリカ国籍を選択してアメリカに移住した者も少なくない。また、小笠原諸島は返還後日米安全保障条約の範囲に含まれたため、引き続き硫黄島と南鳥島には硫黄島ロランC主局と南鳥島ロランC局の管理を目的として、アメリカ沿岸警備隊が駐留した。その後、硫黄島ロランC主局は1994年(平成6年)に廃局となり、南鳥島ロランC局は1993年(平成5年)に海上保安庁に引き渡されたため、小笠原諸島から米軍は撤収した。 また返還後、欧米系島民以外の旧島民の父島、母島への帰島も自由となったが、実際に小笠原諸島へ帰島した旧島民の数は、1982年(昭和57年)の時点で649名であった。
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