アメリカ統治時代:気象局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 07:03 UTC 版)
「フィリピン大気地球物理天文局」の記事における「アメリカ統治時代:気象局」の解説
1898年12月10日のパリ条約 の下で、スペインはフィリピンをアメリカ合衆国に割譲した。大きな政治的混乱の末に1899年には米比戦争が勃発し、1901年5月22日にフィリピン諸島島民政府(Insular Government of the Philippine Islands)が設置され、フィリピン委員会は法令131号を制定し、マニラ気象観測所を内務省(Department of Interior)気象局(Weather Bureau)に改編した。1917年1月1日の農務・天然資源省(Department of Agriculture and Natural Resources (DANR))設置とともに、気象局は内務省から農務・天然資源省へ移管された。フィリピン・コモンウェルス設置とともに、農務・天然資源省は農商務省に再編された。 約45年間にわたり、気象局は活発な活動を続け、国際博覧会や科学調査隊の分野で有名であり、その正確な台風予報と気象学・地磁気学・天文学の分野での科学的業績によりよく知られた存在であり続けた。最初の極東天気図(Fr. Coronas が1908年に発表)は熱帯低気圧の将来予想をするための重要なツールとなった。気象局の刊行した気象学、地磁気学、天文学の文献はよく知られており、第二次世界大戦中の日米のフィリピンの戦いにおいても大きな価値があったことが後に示されている。
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