マニラ気象観測所
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「フィリピン大気地球物理天文局」の記事における「マニラ気象観測所」の解説
フィリピンにおける公的な気象、天文業務は1865年にマニラの Padre Faura 通りにマニラ気象観測所(Observatorio Meteorológico de Manila)が設置され、そこでアテネオ・デ・マニラ大学の若きイエズス会の学者で教授であった Francisco Colina が1日2回または3回の系統的な観測と記録を始めたことが始まりである。別のイエズス会の学者であった Jaime Nonell はこれらの観測についての短い論文を書いており、それはDiario de Manila新聞社により印刷された。この論文はマニラの事業家たちの関心を呼び、台風の接近に対して公衆に警告を発することを目的とした定期的観測をイエズス会の指導者 Fr. Juan Vidal, SJ に要望した。事業家たちは資金を拠出して「Universal Meteorograph(総合気象計)」(ローマのイエズス会士アンジェロ・セッキ, SJ の発明品)という観測機器の調達、取得し、この機械は昼夜を問わず気象観測する大きな助けとなった。 1866年、 Federico Faura, SJ はその科学知識を認められてマニラ気象観測所長となった。この時期、同観測所はフィリピンの気象の系統的な観測に取り組んでいた。1879年7月7日、西インドのイエズス会宣教師とのデータ比較後、同観測所は熱帯低気圧がルソン北部を通過しつつあることを示した警報を発表した。植民地政府は警報の信頼性を根拠として可能な限りの警戒に努め、結果として台風の被害が僅かに抑えられたことで、同観測所の名声は確固なものとなった。これに続いて同年11月の熱帯低気圧のマニラ通過も予測した。1880年には地震と地磁気の観測を開始した。1885年には時報と商船向けの目視(手旗信号)気象警報業務を開始した。1886年には Faura 式アネロイド気圧計を発表。1887年には地磁気観測に専従する課を設置し、その6年後にはフィリピンで最初の地磁気地図を刊行した。1890年には地震業務が公式に設置され、1899年には天文課が業務を開始した。 マニラ気象観測所の名声は外国まで届き、他の観測所も月間の「Boletin del Observatorio de Manila」(マニラ観測所報告)を求めるようになった。同観測所に対する業務上の要請の高まりを受けて、1894年4月21日に勅令が発せられた。この勅令により同観測所はイエズス会の下の公的機関として認められ、スペイン王家からの全面的支援も与えられた。このことがルソン島各地に二次観測網を設置することにつながった。
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