マニラ気象観測所とは? わかりやすく解説

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マニラ気象観測所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 07:03 UTC 版)

フィリピン大気地球物理天文局」の記事における「マニラ気象観測所」の解説

フィリピンにおける公的な気象天文業務1865年マニラPadre Faura 通りにマニラ気象観測所(Observatorio Meteorológico de Manila)が設置され、そこでアテネオ・デ・マニラ大学若きイエズス会学者教授であった Francisco Colina が1日2回または3回系統的な観測記録始めたことが始まりである。別のイエズス会学者であった Jaime Nonell はこれらの観測についての短い論文書いており、それはDiario de Manila新聞社により印刷された。この論文マニラ事業家たちの関心呼び台風の接近に対して公衆警告発することを目的とした定期的観測イエズス会指導者 Fr. Juan Vidal, SJ要望した。事業家たちは資金拠出して「Universal Meteorograph(総合気象計)」(ローマイエズス会士アンジェロ・セッキ, SJ発明品)という観測機器調達取得し、この機械昼夜問わず気象観測する大きな助けとなった1866年、 Federico Faura, SJ はその科学知識認められてマニラ気象観測所長となった。この時期、同観測所フィリピン気象系統的な観測取り組んでいた。1879年7月7日西インドイエズス会宣教師とのデータ比較後、同観測所熱帯低気圧ルソン北部通過しつつあることを示した警報発表した植民地政府警報信頼性根拠として可能な限り警戒努め結果として台風被害僅かに抑えられたことで、同観測所名声確固なものとなった。これに続いて同年11月熱帯低気圧マニラ通過予測した1880年には地震地磁気観測開始した1885年には時報商船向けの目視手旗信号気象警報業務開始した1886年には Faura 式アネロイド気圧計発表1887年には地磁気観測専従する課を設置し、その6年後にはフィリピン最初地磁気地図刊行した1890年には地震業務が公式に設置され1899年には天文課が業務開始した。 マニラ気象観測所の名声外国まで届き、他の観測所月間の「Boletin del Observatorio de Manila」(マニラ観測所報告)を求めようになった。同観測所対す業務上の要請高まり受けて1894年4月21日勅令が発せられた。この勅令により同観測所イエズス会の下の公的機関として認められスペイン王家からの全面的支援与えられた。このことがルソン島各地二次観測網設置することにつながった

※この「マニラ気象観測所」の解説は、「フィリピン大気地球物理天文局」の解説の一部です。
「マニラ気象観測所」を含む「フィリピン大気地球物理天文局」の記事については、「フィリピン大気地球物理天文局」の概要を参照ください。

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