マニラ確保
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 15:23 UTC 版)
「フィリピンの歴史 (1898年-1946年)」の記事における「マニラ確保」の解説
詳細は「マニラの戦い (1898年)(英語版)」を参照 8月12日の夕方、アメリカはアギナルドに配下の反乱軍がアメリカの許可なくマニラに入城することを禁ずると通告した。8月13日、平和条約議定書が署名されたことを知らずに、アメリカ合衆国軍はマニラのスペイン支配地を強襲し確保した。計画は偽の戦闘と簡単な降伏であったとはいえ、反乱軍は一部のアメリカ兵が死傷するスペインとの対峙につながる独自の攻撃を行った。スペイン軍は正式にアメリカ合衆国軍にマニラを明け渡した。 占領したマニラ市の一部で波乱軍による略奪があった。アギナルドはマニラ市を共同して占領することを要求したが、アメリカ合衆国の指揮官は、アギナルドが軍をマニラから撤退させることを強要した。メリット将軍はマニラが明け渡された3日後の8月16日に8月12日の平和条約議定書の知らせを受け取った。デューイ将軍とメリット将軍は、共同して占領することは認められないとしてアメリカ合衆国がマニラを完全に支配すべきとアメリカ合衆国大統領が命ずる8月17日付の電報により知らされた。更に交渉を行い、反乱軍は9月15日にマニラ市から撤退した。 確保したマニラ市にフィリピン軍が入城するのを妨げたアメリカの行動が酷くフィリピン人を憤慨させたためにこの戦いは米比間の協力関係に終止符を打った。
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