マニング・ワードルとは? わかりやすく解説

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マニング・ワードル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/30 08:17 UTC 版)

ブルーベル鉄道で保存される1882年製の車軸配置0-6-0形サドルタンク機 "Sharpthorne"

マニング・ワードルまたはマニング・ウォードルManning Wardle & Co., )は、かつてイギリスウェスト・ヨークシャー州リーズのハンスレットに拠点を置いた蒸気機関車メーカーである。

前史

リーズは、マシュー・マレーが、1812年にホルベックで、初めて商業的に成功した蒸気機関車「サラマンカ」(The Salamanca )を製造するなど、機関車製造において最も初期の中心地の一つであった。1856年までに、いくつかの機関車メーカーがリーズに出現したが、最も著名なものは、E・B・ウィルソン社(E. B. Wilson )とピアソン通りのハンスレット・エンジン(Hunslet Engine )である。

マニング・ワードル

E.B.ウィルソンは、1858年に倒産し、同社のデザインは、ハンスレット地区のジャックレーンで、1840年にボイン工場を設立していたマニング・ワードル社によって購入された。

数年のうちに、他の2社(ハンスレット・エンジン社、ハズウェル・クラーク(Hudswell Clarke )も、工場をジャックレーンに開いた。多くの技術者の移動が3社の間にあり、そして、3社は類似したデザインの製品を製造するに至った。他の2社が多種多様なタイプの機関車を製造する一方で、マニング・ワードルは顧客の事情に特化した機関車に集中した。

多数の標準軌狭軌のマニング・ワードル製機関車が、ヨーロッパアフリカインドオーストララシア南アメリカに輸出された。

凋落と終焉

マニング・ワードルは、一貫して伝統的な製品の製造を続け、より効率的な大量生産技術を活用することができなかった。その結果2,000両以上の蒸気機関車を生産しながらも競争力を失い、1927年に蒸気機関車の取り扱いをやめた。

最後に完成した機関車は、1926年8月にラグビー・セメント工場向けに製造された製造番号2047(標準軌の車軸配置0-6-0形サドルタンク機)であった。この機関車は、キッダーミンスター鉄道博物館で静態保存されている。

アルゼンチン初の機関車である、1857年マニング・ワードル製の「La Portena」は、現在動態復元され、初運転から150回目の記念日である2007年10月17日に、200メートルの区間を運転された。

事業の継承

リントン・アンド・バーンステイプル鉄道 "Yeo"

1926年に機関車の製造をやめた後、マニング・ワードルの持っていた図面や設計、顧客は、キットソンKitson )に引き継がれた。キットソンは、機関車製造をやめる1938年までに、マニング・ワードルが設計した機関車を23両製造した。

その後は、ロバート・スティーブンソン・アンド・ホーソンに引き継がれ、さらに5両の機関車が製造された。

現在、マニング・ワードルのデザインは、現在も鉄道車両メーカーであるスコットランドキルマーノックに拠点を置くハンスレット・バークレー(Hunslet-Barclay )に引き継がれている。また、歴史的な機関車に関する知的所有権は、ハンスレット・エンジンが保有している。

マニング・ワードルの商標名は、1898年から1935年まで運行されたリントン・アンド・バーンステイプル鉄道(Lynton & Barnstaple Railway )を保存するために、1999年に設立された会社が保有している。同社は、マニング・ワードルの最も有名な製品(ExeTawYeoLewといった狭軌の車軸配置2-6-2形タンク機関車)を運用している。

日本との関わり

鉄道院1290形

日本に入ったマニング・ワードルの製品は、黎明期の1873年(明治6年)と1881年(明治13年)に輸入された3両のバラストエンジン(建設工事用機関車)のみである。この機関車は、後に鉄道院1290形となったもので、「善光」の愛称でも知られている。そのうちの1両はさいたま市鉄道博物館に保存展示されている。

参考文献

  • 臼井茂信「機関車の系譜図 1」1972年 交友社

外部リンク


マニング・ワードル

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「マニング・ワードル」の記事における「マニング・ワードル」の解説

E.B.ウィルソンは、1858年倒産し同社デザインは、ハンスレット地区のジャックレーンで、1840年ボイン工場設立していたマニング・ワードル社によって購入された。 数年のうちに、他の2社(ハンスレット・エンジン社、ハズウェル・クラーク(Hudswell Clarke )も、工場をジャックレーンに開いた多く技術者移動が3社の間にあり、そして、3社は類似したデザイン製品製造する至った。他の2社が多種多様なタイプ機関車製造する一方で、マニング・ワードルは顧客事情特化した機関車集中した多数標準軌狭軌のマニング・ワードル製機関車が、ヨーロッパアフリカインドオーストララシア南アメリカ輸出された。

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