マニング公式の提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/04 15:30 UTC 版)
「ロバート・マニング」の記事における「マニング公式の提案」の解説
マニングは、流体力学や工学の正式な教育をまったく受けてなかったが、もともと会計士であったことと実際主義者であったことが彼の仕事に大きな影響を与え、直面する問題を簡単な形に置き換えて考える手法をとった。彼は当時よく知られていた以下の7つの公式について、与えられた河床勾配について径深を0.25 - 0.30[m]まで変化させその平均流速を計算し、比較・評価した。 デビュア公式 ピューレ・デビュア(fr:Pierre du Buat, 1786) アイテルワイン公式 アイテルワイン(Eytelwein, 1814) ワイスバッハの式 ワイスバッハ(Weisbach, 1845) サンブナン公式 アデマール・ジャン・クロード・バレー・ド・サン=ブナン(en:Adhémar Jean Claude Barré de Saint-Venant, 1851) ネヴィル公式 ネヴィル(Neville, 1860年) ダルシー・バジン公式 ヘンリー・ダルシー、バジン(Darcy and Bazin, 1865) ガンギレー・クッター公式 ガンギレー、クッター(Ganguillet and Kutter, 1869) そして、全ての条件についてその平均値をとり、そのデータにもっとも合う公式を作った。 最初に、もっともデータに合う式として v = 32 R I ( 1 + R 1 3 ) {\displaystyle v=32{\sqrt {RI\left(1+R^{\frac {1}{3}}\right)}}} を考え出した。ここでRは径深、Iは河床勾配である。そして、マニングはこの式を簡略化し v = C R x I 1 2 {\displaystyle v=CR^{x}I^{\frac {1}{2}}} とし、1885年にxに対して2/3を与えた。この式についてマニングはフラマン(Flamant)への手紙の中で『係数Cがガンギレー・クッター公式に出てくる係数nと相互的に変換でき、どちらも同じ水路に対して一定である。』と述べている。 そして1889年12月4日、73歳の時にマニングは初めてこの公式をアイルランド土木研究所(Institution of Civil Engineers)に提出し、1891年に論文『On the flow of water in open channels and pipes』が土木研究所の紀要で掲載され、この公式が公表された。 しかし、当時2/3乗の計算(立方根を計算し、それを二乗すること)が難しかったことと、そもそも係数Cが次元を持っていたため、マニング自身もこの公式を好んでいなかった。そこで、係数を無次元化するため公式を以下のように修正した。 v = C ( g I ) 1 2 [ R 1 2 + ( 0.22 m 1 2 ) ( R − 0.15 m ) ] {\displaystyle v=C(gI)^{\frac {1}{2}}\left[R^{\frac {1}{2}}+\left({\frac {0.22}{m^{\frac {1}{2}}}}\right)\left(R-0.15m\right)\right]} ここでgは重力加速度、mは大気圧と平衡状態の水銀柱の高さ(水銀柱)で、Cは水路面の性質によって変化する無次元数である。 しかし結局、19世紀後半の教科書では、マニング公式は現在良く知られている形 v = 1 n R 2 3 I 1 2 {\displaystyle v={\frac {1}{n}}R^{\frac {2}{3}}I^{\frac {1}{2}}} と書かれるようになった。 1918年、キングは『Handbook of Hydraulics』(水理学のハンドブック)の中で、マニングの提案した係数Cがクッター係数nと相互変換可能であることを受け入れるなら、現在知られているように、マニング係数は非常に広い範囲でマニング公式を使うことができると結論した。 なお、アメリカ合衆国と日本ではnはマニングの粗度係数あるいはマニング係数と呼ばれる。一方、ヨーロッパではストリックラーのKがマニングの提案した係数C(nと相互変換可能なもの)と同じものである。
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