アメリカの政軍関係の伝統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/17 15:32 UTC 版)
「軍人と国家」の記事における「アメリカの政軍関係の伝統」の解説
アメリカにおいて最も支配的な政治イデオロギーは自由主義であった。自由主義は軍隊の機構や機能に無理解であり、原理的に敵対する。18世紀に維持されていたアメリカの700名の正規軍は共和政と人民の自由を妨げると見なされたために議会により80名に縮小された。アメリカでは自由主義はアメリカ独立戦争から続く主流の思想であった。19世紀におけるアメリカの国際社会における孤立は自由主義をより優勢とした。軍事問題に対する自由主義的アプローチの実態は複雑である。基本的に自由主義は国防問題に適用されることを想定していない。自由主義は国家と個人の関係を問題とするものであり、対外政策や軍事問題を重要視していない。さらに自由主義は国内政策の方法を国家間の問題に適用しようとする傾向がある。したがってアメリカの戦争に対する態度は二種類が並存する。それは戦争を心底許容する過激論と徹底的な平和主義であり、どちらであれイデオロギー的に正当化されなければならない。したがって国家政策の手段として軍事力を使用することはない。政軍関係に対してこのような自由主義のイデオロギーは敵対的である。したがって基本的には民兵によって国防は実施されなければならないと考える。 またアメリカでは文民統制の理念が普及しているにもかかわらず、憲法上の規定が定められていない。つまりアメリカの合衆国憲法はハンチントンが述べる客体的文民統制の規定が認められておらず、軍事的責任を政治的責任に従属させる規範が示されていない。憲法では職業軍人を想定しておらず、主に民兵が組織されることになっている。民兵は自由な国家の自然な形態の防衛であり、常備軍は逆に自由の脅威と捉えられた。民兵が存在することによって客体的文民統制は必然的に必要ではなかった。憲法の民兵条項によれば、準軍事組織の保有を承認し、さらにその民兵組織の指揮権を戦時において連邦政府と州政府の間で分割することを承認している。このような二重統制はアメリカにおける職業軍人の制度と文民統制にとっての障害であった。このようにアメリカにおいては自由主義の価値観によって客体的文民統制が憲法や政治大系の中で具体化されることが妨げられていた。 自由主義の傾向にあるアメリカにおいてアメリカ軍の伝統の基礎となった技術主義、人民主義そしてプロフェッショナリズムの中でプロフェッショナリズムは特に脆弱なものとならざるをえなかった。さらに軍は市民社会から隔離された環境に置かれることになった。しかしこれは結果的にはアメリカ軍の専門的職業集団への変容を容易なものとしていた。アメリカで職業軍人の制度が成立したことは南北戦争後の少数の将校団の業績であった。彼らは軍事教育の改革を通じてアメリカ軍に軍事的なプロフェッショナリズムを定着させることに貢献した。1865年に設置されたウェスト・ポイントの陸軍士官学校とアナポリスの海軍兵学校では一般教養、軍事科学、軍事技術についての教育がなされ、また軍事研究のための軍大学が創設された。この教育体系の整備によって将校団は職業団体として確立され、職業倫理としての非党派的な立場から軍務を遂行することを理想とする軍人精神が形成されることになった。 第一次世界大戦が勃発してからアメリカでは国民と軍隊の新しい関係を構築するために各地の高校や大学で軍事教練を指導とする部隊を配置し、地域ごとに行われていた兵員募集の取組みを全国的に実施するため整備した。このような努力は平和主義者によって批判の対象となり、またアメリカの市民社会に定着していた反軍的な考え方によっても抵抗されていた。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間においてアメリカの市民社会では反軍的な傾向が強まっていた。これはアメリカの自由主義の思想的伝統が復権したことを反映する状況であり、政軍関係も自由主義的な形態に回帰した。そして自由主義者は軍を軍国主義と同一視することで批判の対象としていた。また第一次世界大戦前に確立されていた軍事制度はそのまま存続しており、その内容にも変化は見られなかった。
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