アメリカの政軍関係の危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/17 15:32 UTC 版)
「軍人と国家」の記事における「アメリカの政軍関係の危機」の解説
第二次世界大戦はアメリカの政軍関係を大きく変化させる契機となった。ハンチントンは戦時中での重要な着眼点について、政策・戦略の重要な意思決定に関して軍部が指導したことや、軍部がアメリカの国民と政治家の望む方式で戦争を指導したこと、そして経済統制の活動は軍部と文民により分担されたことを列挙している。職業軍人は急速に文民と接近を果たし、国家において重要な地位を占めることが可能となった。国際問題においては軍人は文民の自由主義的な価値観を採用することで協調しながら政策形成に携わることができた。ただし国内問題では経済統制の是非を巡って軍部は抵抗を受けていた。しかし戦争の基本的な戦略に関してアメリカの最高会議では軍人と文民の政治的な調和がもたらされていた。ハンチントンはこのような調和が政治家が軍人の見解を受け入れたのではなく、軍人が文民の意見を受け入れたと指摘している。つまり問題の根源は軍事的思考の貧困であり、アメリカ社会に普及していた自由主義に由来するものであった。 このような軍部の態度の変化は文民統制に関する変化にも表面化している。参謀本部は大統領に対する軍事的助言を行う永続的な機関であり、これを文民統制の下に置くことは忘れ去られていた。軍の指導者は戦略や戦術の問題で大統領と直接的に交渉する地位を確立することができた。経済の動員においては戦時動員局が民軍の調整を進めていた。アメリカの地理的環境と統制計画によりドイツや日本を追い越すほど経済動員は成功した。このことで軍部は国内の政策問題において文民に対して政治的影響力を働きかけることができた。しかし第二次世界大戦において国家戦略は軍事的観点が軽視されることになっていた。アメリカのこのような政軍関係の問題は深刻なものとなることになった。 アメリカの政軍関係の問題は第二次世界大戦後になってから出現することになる。ハンチントンはここでラスウェルの要塞国家の概念を参照している。要塞国家は20世紀の国際紛争に対処するため、要塞国家の形態が出現するという予測に基づいた仮説であった。要塞国家では自由社会の軍事化や政軍関係と国家の形態に関する誤解が含まれている。例えば彼は職業軍人が好戦的であるという誤った前提を採用している。このような理論は政治と軍事という範疇が旧式であるという主張を背景としており、軍による純粋な軍事的な決定は存在しないという議論や、文民による軍の非軍事的責任を追及する議論などに現れていた。軍人が文民の部門に進出することには批判があったが、軍人たちは文民に姿を変えて浸透していった。 冷戦期における朝鮮戦争はアメリカの政軍関係の問題を表現しており、戦後直後に見られた軍人が文民に同化する傾向は衰退していくことになった。そのため再び政軍の緊張関係が自由主義的な政軍関係が維持され、戦争と軍隊に対するアメリカ国民の態度も変化がなかったために、参謀本部は政策の実施主体かまたは具体的な政治的な行為主体、そして両者を総合した役割を担うことが求められることになった。軍事的安全保障の要請と自由主義の価値観の緊張関係は双方どちらかの弱体化によってしか解決できない。近年のアメリカでは新保守主義の成立はこれまでの自由主義のイデオロギー的な反軍的態度に取って代わりつつある。この思想情勢の変化は政軍関係の健全化にとって望ましい状況であると言える。なぜなら軍事的安全保障は職業軍人のプロフェッショナリズムを確立するためであり、そのためには自由主義の価値観から保守主義の価値観への移行が必要なのである。
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