むきばんだいせきとは? わかりやすく解説

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妻木晩田遺跡

名称: 妻木晩田遺跡
ふりがな むきばんだいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 鳥取県
市区町村 米子市淀江町西伯郡大山町
管理団体 鳥取県
指定年月日 1999.12.22(平成11.12.22)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成20.03.28
解説文: 妻木晩田遺跡は,弥生時代後期(1~2世紀)を中心とする大規模な集落遺跡である。この地に「大山スイス村リゾート開発立案され,ゴルフ場建設事前調査平成7年から実施され9年度までの3ケ年で大規模な弥生時代集落が明らかとなり,リゾー ト開発中止され全面保存されることになった
 妻木晩田遺跡は,伯著大山の西北位置し孝霊山背後に,平野面した標高90150m丘陵地にある。ここから北側および西側への眺望開け淀江米子平野,また弓ヶ浜から島根半島までを広く見渡すことができる。淀江平野部には、弥生時代には淡水湖である淀江の潟が形成されていた。
 集落遺跡丘陵尾根上の複数箇所にわかれ,洞ノ原地区妻木山地区,妻木新山地区仙谷地区松尾地区松尾城地区,小真石清水地区大別される発掘調査結果竪穴住居384軒,掘立柱建物502棟,合計900基あまりが確かめられ,未調査部分を合わせる1000基を大きく越えるものと予想され弥生時代の集落規模としては最大のものである松尾地区では,破鏡をともなう直径6mの大型竪穴住居大型掘立柱建物近接してつかっており,妻木晩田近跡の首長層の居住区とみられる妻木山地区でも大型掘立柱建物が見つかっている。また掘立柱建物集中する妻木新山地区は,倉庫建ち並ぶ貯蔵空間であったらしい。貯蔵施設としては袋状になった貯蔵穴数多い。また洞ノ原地区平野面する西端には,2重の環濠めぐらし径約75mの区画をもうけ,なかに狼煙場物見櫓とみられる建物があり,遺跡西方見張る施設設けられていた。内部からは30個ほどの投弾も見つかっている。鍛冶玉作り関連遺物もあり、土器焼成遺構含めて遺跡における生産活動の跡もいくつか認められている。また洞ノ原地区仙谷地区及び松尾地区からは30基あまりの墳丘墓が見つかっており、このうち四隅突出型墳丘墓含まれている。 とくに洞ノ原地区では24基のうち少なくとも11基が四隅墓と認められ集中度が高く,かつこれまで例のない一辺1~2mほどの小型のものが含まれており注目される出土
物としては鉄器の量が特筆できる。工具掘削具を中心に200点が出土しており、弥生時代の集落遺跡の出土例としては、北部九州のぞけば群を抜く量である。
 妻木晩田遺跡は,弥生時代中期未に営まれ後期でも後半最盛期迎え古墳時代のはじめまでわずかに残るが、ほぼ弥生時代のうちに終する。およそ約250300年継続したのである丘陵尾根尾根密度高く遺構があり、一般居住域加えて首長層の居住区祭祀空間墓域見張り施設など配列され当時集落遺跡構成する要素がすべてそろい、一体としてひとつの大規模集落構成している。当
時、中国の歴史書に国と書かれたような弥生時代後期倭国内の地域的まとまり形成されていたが、妻木晩田遺跡の存在は、その規模からみて、こうしたクニのひとつが大山西北一帯生まれていたことを示していよう。垂木晩田遺跡は、その拠的な中心集落であり、いわば都にあたるものといえるだろう。このように垂木晩田遺跡は,弥生時代山陰地方代表する遺跡であるとともに国家形成への歩み始め古墳時代前史となる弥生後期社会考え上で集落の諸要素がほぼ判明している本遺跡はひとつの典型的な事例提供するでも、全国的にきわめて重要な事例となるものである。よって史跡指定し保存図ろうとするものである
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史跡:  女山神籠石  妙心寺境内  妙心寺庭園  妻木晩田遺跡  姥山貝塚  姫小川古墳  孤篷庵庭園



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