根来寺境内とは? わかりやすく解説

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根来寺境内

名称: 根来寺境内
ふりがな ねごろじけいだい
種別 史跡
種別2:
都道府県 和歌山県
市区町村 岩出市根来
管理団体
指定年月日 2007.02.06(平成19.02.06)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 和歌山県最北大阪府との境界には和泉山脈横たわっており、根来寺はその一峰、一乗山の南麓南側前山称される独立山塊状の山に挟まれ狭小な平地部谷筋立地する。かつての境内地の主要範囲は、東は菩薩峠、西は大門池東側細尾根、南は東西衝立のように延び前山、北は和泉山脈南麓北山であり、東西・南北とも約2kmに及ぶ。このなかに菩提川大谷川蓮華谷川などに形成された谷が入り組んでいる。
根来寺一乗院大伝法院号する新義真言宗本山である。その淵源大治5年(1130)に覚鑁上人高野山大伝法院密厳院創建し、みずから大伝法院座主となったことにはじまる。高野山中における金剛峰寺方と大伝法院方の対立により、正応元年(1288)、頼瑜のとき根来移転し新義真言宗成立した室町時代には伝法堂院や大塔国宝)が造営され戦国時代にかけて大きく発展した山内には円明寺などの塔頭子院多数存在し山内坊舎2700余りとも伝えられ大きな勢力をなしていた。この時期紀北地方泉南地方小領主地侍の子弟が根来山内入って根来衆という僧兵集団となり強力な軍事力構成したこうしたなかで、天正13年(1585)3月23日豊臣秀吉紀州攻めにあって、その多く焼亡した。江戸時代入り和歌山藩主の浅野家復興し大伝法堂大門再建され今日至る。
旧境内地の発掘調査昭和51年広域農道建設契機始まった。このとき中世近世寺院遺構焼き討ちに伴う焼土層が確認され和歌山県岩出市教育委員会等により、これまで各所継続的に行われ大きな成果上げられている。それによれば15世紀から16世紀段階遺構分布急速に広がり寺院拡大していった様子がわかる。子院斜面造成して石垣などを配して平坦地をつくり、仏堂や住坊、倉庫井戸便所などを備えているのが一般的である。湯屋確認されている。「根来寺伽藍絵図」は作成年代不明であるが、遺跡の状況合致するところがあり、最盛期様相伝えるものと推定される
発掘調査出土品には多様なものが豊富にある。食膳具・煮炊具調理具などの日常用品のほか、仏具鉄砲玉などの武器筆・硯などの文具お茶道具茶臼などがある。焼き物備前瀬戸美濃瓦器土師器などの国産品のほか、中国・朝鮮・タイ・ベトナムなどで生産されたものがある。出土品強く火を受けていたもの多く焼き討ち状況如実に示す。
このように根来寺中世一大勢力をなした寺院在り方をよく示し多数遺構包蔵した往時広大な境内地全域良好な状態で保存されている。また、現在まで法灯継がれており、建造物仏像などの多様な文化財が現境内地残されている。中世における寺院成立と展開政治・経済等との関連等を具体的に知ることができる貴重な事例である。よって、史跡指定し保護図ろうとするものである
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史跡:  根室半島チャシ跡群  根岸官衙遺跡群  根曽古墳群  根来寺境内  桂ヶ岡砦跡  桂春院庭園  桂菴墓


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