桂ヶ岡砦跡とは? わかりやすく解説

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桂ヶ岡砦跡

名称: 桂ヶ岡砦跡
ふりがな かつらがおかちゃしあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 北海道
市区町村 網走市桂町
管理団体 網走市(昭11・4・4)
指定年月日 1935.12.24(昭和10.12.24)
指定基準 史1,史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 丘陵一端ニアリ空濠ヲ穿チ土壘ヲ築キ防禦陣地トナシタルモノニシテ今尚二、三穴居ノ阯ヲ留ム 大小二ヶ所並ビアル處ヨリアイヌ人ハ之ヲチヤランケチヤシト称ス
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史跡:  根岸官衙遺跡群  根曽古墳群  根来寺境内  桂ヶ岡砦跡  桂春院庭園  桂菴墓  桑折西山城跡

桂ヶ岡砦跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/27 16:31 UTC 版)

桂ヶ岡砦跡

桂ヶ岡砦跡(かつらがおかちゃしあと)は北海道網走市にある近世アイヌ文化期の遺跡。国の史跡に指定されている。

概要

桂ヶ岡砦跡は、網走市の丘陵地桂ヶ岡公園内にある、近世アイヌ文化期の築造とされる内外二重の堀で囲まれたチャシの遺構である。

チャシはアイヌ語で「柵」「囲い」などを意味するが、その本来の用途は明らかでなく、聖域、城砦、祭りの場などとして使用されたとされている。桂ヶ岡チャシは自然の丘陵の地形を生かして造成されている。長径32.5メートル、短径8.4メートルの規模で、東西に長く、北は自然の断崖、他の三方は二重の堀をめぐらせている。

アイヌの人々は、このチャシの上で相対し、交易祭祀、チャランケ(談判)をしたとされており、チャランケチャシという名称も伝わる。

史跡データ

  • 所在地 - 〒093-0041 北海道網走市桂町
  • 指定者 - 国(日本国文部科学大臣)
  • 指定年月日 - 1935年昭和10年)12月24日指定[1]
  • 管理団体名 - 網走市(1936年4月4日)
  • 指定基準 - 一.貝塚集落跡、古墳その他この類の遺跡,二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡

別名

  • イシメシナイチャシコツ(犬が熊を見つけて吠える沢にある砦)
  • リンナイサノプツンチャシ(網走川の海のほうの川口にある砦)

交通アクセス

周辺

脚注

  1. ^ 高規格道路整備状況、オホーツクの教育・文化 - 北海道オホーツク総合振興局, 2024年11月27日閲覧

参考文献

座標: 北緯44度1分4.5秒 東経144度16分11秒 / 北緯44.017917度 東経144.26972度 / 44.017917; 144.26972



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