【九七式司令部偵察機】(きゅうななしきしれいぶていさつき)
1930年代に三菱重工が設計・開発、大日本帝国陸軍航空隊に制式採用された単発レシプロの高速・長距離偵察機。
陸軍での型式呼称は「キ15」、米軍のコードネームは"Babs"であった。
本機は「(当時の)戦闘機よりも高い速度性能と長い航続距離を生かして単機敵地上空奥深くへ侵入、敵情を収集する」というコンセプトのもと設計・開発され、1937年(昭和12年)に制式採用。
まもなく起きた支那事変では、当初のコンセプト通り敵地領内奥深くへ侵入する偵察任務に従事し、数多くの有益な偵察情報を持ち帰って友軍の作戦遂行に貢献した。
本機は基本性能が優れていたことから、後継の「一〇〇式司令部偵察機(百式司偵・新司偵)」がデビューした後も並行して実戦で使われ、大戦中盤の1943年頃まで第一線にありつづけた。
ちなみに、本機や一〇〇式の運用思想は、後年、アメリカで開発された「U-2」や「SR-71」という「戦略偵察機」や、人工衛星の運用技術を持つ各国が運用する「偵察衛星」に発展した。
そのため、本機は「世界最初の戦略偵察機」ともいわれている。
本機は合計437機が生産され、陸軍に引き渡されたが、これ以外にも海軍に「九八式陸上偵察機」として採用(50機生産)されている。
また、本機の試作2号機は東京朝日新聞社に払い下げられて「神風号」と名付けられ、1937年3月に東京~ロンドン間の往復連絡飛行を敢行、無事日本へ帰還したのは有名な悦話である。
この後、同機の成功に触発された東京日日新聞社(後の毎日新聞社)は、海軍の九六式陸上攻撃機をベースとした双発機「日本号」による世界一周親善飛行を敢行、こちらも無事目的を達成している。
性能諸元
機体略号 | キ15 |
主製造社 | 三菱重工業 |
乗員数 | 2名(操縦士・偵察員) |
全長 | 8.49m |
全高 | 3.34m |
全幅 | 12m |
主翼面積 | 20.36㎡ |
自重 | 1,399kg |
最大重量 | 2,033kg |
全備重量 | 2,189kg |
プロペラ | 固定ピッチ2翅 |
発動機 | 中島九四式(ハ8)空冷星形9気筒(公称550馬力)×1基(キ15-I) 三菱 ハ26-I 空冷星形14気筒(900馬力)×1基(キ15-II) |
最高速度 | 500km/h |
実用上昇限度 | 11,900m |
航続距離 | 2,400km |
固定武装 | テ4 試製単銃身旋回機銃二型(口径7.7mm)×1門 |
派生型
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