馬の耳に念仏
馬の耳に念仏とは、効果のない努力や無駄な言葉を使っても、相手には理解されないことを表す慣用句である。
この表現は、馬に念仏を唱えても、馬は仏教の教えを理解できないため、効果がないという意味から来ている。馬の耳に念仏は、主に人間関係やコミュニケーションの際に、相手の立場や能力を考慮せずに無駄な言葉を使ったり、効果のない努力をしたりすることを戒める言葉として用いられる。
この慣用句は、日本の古典文学や歌舞伎などの文化にも登場し、日本人の間で広く知られている。また、馬の耳に念仏は、他の言語や文化にも類似した表現が存在し、その国や地域の文化背景に基づいた独自の言い回しや意味合いがある。例えば、英語では「pearls before swine」という表現があり、これは「豚に真珠」という意味で、貴重なものを無駄に使っても、それを理解できない者には価値がないという意味である。
馬の耳に念仏
「馬の耳に念仏」とは、無意味な効果のことを意味する表現である。
「馬の耳に念仏」とは・「馬の耳に念仏」の詳しい解説
「馬の耳に念仏」は、馬にどんなにありがたい念仏を聞かせても意味がないことから、どんなによいアドバイスも理解できない人には効果がないという意味のことわざである。特に、良い意見、助言、説教、忠告を聞き入れない場面やそのような人に対して使う。なお、ことわざと慣用句が混同されることがあるが、馬の耳に念仏は教訓を含んだ言葉であるためことわざに分類される。「馬の耳に念仏」の発音・読み方
「馬の耳に念仏」は、「うまのみみにねんぶつ」と読む。「馬の耳に念仏」の語源・由来
「馬の耳に念仏」の語源は、「馬耳東風」(馬耳東風については後述)である。馬の耳に念仏は、江戸時代には「馬に念仏」と言われていたが、これが馬耳東風を由来とした「馬の耳に風」と混同されるようになり、馬の耳に念仏という言葉になったと考えられている。なお、ことわざの中に「馬」が使われているのは、人間にとって身近で賢い生き物であったからと考えられる。その理由として、ことわざの中には、猫や犬、牛や豚、鳥や魚など、人間の生活に身近な生き物が多く使われていること、それぞれの生き物の特徴に合った由来や意味を持っていることが挙げられる。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」と「猫に小判」の違い
「馬耳東風(ばじとうふう)」は、馬の耳に東風(春に吹く風)が吹いても何も感じることはないことから、「人の意見に耳を傾けずに聞き流すこと」を意味する表現である。また、「猫に小判(ねこにこばん)」は、猫に小判を与えても意味がないことから、「どんなに価値があるものを与えても、その値打ちが分からない者には何の意味もない」という表現である。「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」は、上述のように「馬耳東風」が「馬の耳に念仏」の由来になっているところにある。また、「馬の耳に念仏」と「猫に小判」の違いは、「馬の耳に念仏」が他人の意見に耳を貸さないという意味であるのに対して、「猫に小判」は物の価値が分からないという意味で使われる点にある。
「馬の耳に念仏」の類語
「馬の耳に念仏」の類語は多数ある。以下は、「言っても無意味なこと」「効果がないこと」などを意味することわざである。・「猫に小判」は前述の通り。
・「犬に論語(いぬにろんご)」は、犬に論語を説いて聞かせても意味がないことから、「道理が分からない者には何を説いても無意味である」という意味の表現である。
・「豚に真珠(ぶたにしんじゅ)」は、豚に真珠を与えても意味がないことから、「価値が分からないものに貴重なものを与えても無意味である」という意味の表現である。
・「牛に経文(うしにきょうもん)」は、牛にお経を聞かせても意味がないことから、「いくら説いて聞かせても意味がないこと」を意味する表現である。
・「兎に祭文(うさぎにさいもん)」は、兎に祝詞を捧げても意味がないことから、「いくら言って聞かせても無意味なこと」を意味する表現である。
・「牛に説法馬に銭(うしにせっぽううまにぜに)」は、牛にありがたい仏の教えを説いても、馬に貴重な金銭を与えても無意味であることから、「いくら意見を言っても効果がないこと」を意味する表現である。
・「馬耳東風」は前述の通り。
・「暖簾に腕押し(のれんにうでおし)」は、暖簾を腕で押しても手応えがないことから、「手応えがないこと」「言っても意味がないこと」を意味する表現である。
・「糠に釘(ぬかにくぎ)」は、糠に釘を打っても手応えがないことから、「手応えがないこと」「全く効果を得られないこと」を意味する表現である。
・「豆腐に鎹(とうふにかすがい)」は、豆腐に鎹を打ち込んでも意味がないことから、「手応えがないこと」「全く効果がないこと」を意味する表現である。
「馬の耳に念仏」の対義語
「馬の耳に念仏」の対義語としては、「効果があること」「よく理解している人に説くのは無意味である」という意味の言葉が当てはまる。具体的には以下の通りである。・「鬼に金棒(おににかなぼう)」
・「走り馬にも鞭(はしりうまにもむち)」
・「釈迦に説法(しゃかにせっぽう)」
・「火に油をそそぐ(ひにあぶらをそそぐ)」
「馬の耳に念仏」の使い方・例文
・何度言われても同じ失敗を繰り返すなんて、彼にとって上司のお説教は馬の耳に念仏だな。・お酒が好きな人に、アルコールが体に悪影響を与えることを伝えても、全くもって馬の耳に念仏だ。
・神の教えを伝えたところで、信仰心のない人にとっては馬の耳に念仏だ。
・やんちゃな息子には、どんなにルールやマナーの大切さを語っても、馬の耳に念仏だ。
「馬の耳に念仏」の英訳
「馬の耳に念仏」を英語に直訳すると「prayer to Amitabha into a horse's ear」になるが、これではことわざとしての意味が通じないことが予想される。そのため、次のような「話しを聞こうとしない」「言っても無意味である」という英語表現を使って英訳することになる。・To preach to the wind(風に説教する)
・preach to deaf ears(耳の聞こえない人に説教する)
・In one ear and out the other(片方の耳から入り、もう片方の耳から出る)
・turn a deaf ear(耳を貸さない)
・not heeding what others say(他人の言うことを聞かない)
馬の耳に念仏
馬(うま)の耳(みみ)に念仏(ねんぶつ)
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