『マリー・ド・メディシスの生涯』と外交官としての活躍(1621年 - 1630年)
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「マリー・ド・メディシスの生涯」も参照 1621年にフランス王太后マリー・ド・メディシスが、パリのリュクサンブール宮殿の装飾用に、自身の生涯と前フランス王で1610年に死去した夫アンリ4世の生涯とを記念する連作絵画2組の制作をルーベンスに依頼した。この依頼でルーベンスが描いたのが、現在ルーヴル美術館が所蔵する、24点の絵画からなる『マリー・ド・メディシスの生涯』で、1組目の連作が完成したのは1625年のことだった。ルーベンスはもう一組の連作の制作も開始していたが、こちらは最終的に未完のままに終わっている。1630年にマリー・ド・メディシスは、息子のフランス王ルイ13世によって追放され、幼少期のルーベンスが暮らしていたケルンの邸宅で1642年に死去した。 1621年にネーデルラントとスペインとの12年間の休戦期が終わると、スペイン・ハプスブルク家の君主たちはルーベンスを外交的任務に重用し始めた。1624年にフランスの大使がブリュッセルから送った書簡には「スペイン王女(イサベル・クララ・エウヘニアを指す)の命によって、ルーベンスがポーランド王子の肖像画を描きに来ている」と記されている。この書簡に書かれているポーランド王子ヴワディスワフ4世が、イサベルの私的な賓客としてブリュッセルを訪れたのは1624年9月2日のことだった。 1627年から1630年にかけての期間が、ルーベンスの外交的活動がもっとも激しかった時期である。ルーベンスはスペインとネーデルラントに平和をもたらすために、スペインとイングランドの王宮を何度も往復した。さらに、ルーベンスは画家、外交官両方の役割を担って、ネーデルラント北部を何度か訪れており、各地の宮廷で賓客として遇されている。ルーベンスが爵位を与えられたのもこの時期で、1624年にスペイン王フェリペ4世から、1630年にイングランド王チャールズ1世から、それぞれナイト爵を授かった。また、1629年にはケンブリッジ大学から美術修士号 (en:Master of Arts (Oxford, Cambridge and Dublin)) を授与されている。 ルーベンスは1628年から1629年にかけての8カ月間マドリードに滞在し、外交官としての職務だけでなく、スペイン王フェリペ4世らの依頼に応じて重要な絵画作品を制作した。イタリア時代にも目にしていた、スペイン王宮が所蔵していたティツィアーノの作品に改めて触れ、『アダムとイヴ』など、ティツィアーノの作品の模写を多く描いている。また、ルーベンスは、フェリペ4世の宮廷画家としてマドリード王宮にいたディエゴ・ベラスケスと親交を持ち、翌年に二人でイタリアへと旅行する計画を立てた。しかしながらルーベンスはアントウェルペンに帰還することを余儀なくされ、結局ベラスケスは一人でイタリアを訪れている。 マドリードからアントウェルペンへ戻ったルーベンスだったが、すぐに別の任務を与えられてイングランドへと赴き、1630年4月までロンドンに滞在した。このロンドン滞在中に描いた重要な作品が『平和と戦争の寓意』(1629年、ナショナル・ギャラリー(ロンドン))である。平和を希求するルーベンスの強い思いが描かれたこの作品は、イングランド王チャールズ1世に贈られた。 諸国の収集家や貴族階級間でのルーベンスの国際的な名声はますます高くなっていったが、ルーベンスとその工房では、アントウェルペンの後援者からの絵画注文もこなし続けていた。このような作品として、聖母マリア大聖堂の『聖母被昇天』(1625年 - 1626年)などを好例として挙げることができる。 『フランス王太后マリー・ド・メディシス』(1622年)プラド美術館(マドリード) 『シュザンヌ・フールマン』(1622年 - 1625年)ナショナル・ギャラリー(ロンドン) 『ポーランド王子ヴワディスワフ4世』(1624年)ヴァヴェル城(クラクフ) 『聖母被昇天』(1625年 - 1626年)聖母マリア大聖堂(アントウェルペン) 『平和と戦争の寓意』(1629年)ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
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