『マルスウイスキー』の誕生
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「岩井喜一郎」の記事における「『マルスウイスキー』の誕生」の解説
1945年、本坊酒造・顧問に就任、1960年ウイスキー部門の計画を任され、手元に残していた「竹鶴ノート」をもとに、山梨でのウイスキー蒸留工場設計と指導に携わり本格的にウイスキーを作り始める。竹鶴に従った製法で「ヘビーでスモーキーなウイスキー」であったという。9年後、本坊酒造は販売不振のため撤退を余儀なくされた。岩井の死後、1981年 鹿児島工場での生産を開始で再参入し、自社の焼酎「宝星」から引いた「火星(マルス)」から「マルスウイスキー」が誕生した。
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