『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』とは? わかりやすく解説

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『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:04 UTC 版)

マリー・ド・メディシスの生涯」の記事における「『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』」の解説

『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』には、1600年10月5日フィレンツェ大聖堂挙行された、フィレンツェ大公マリーフランス王アンリ4世代理結婚式 (en:Proxy marriage) の情景描かれている。結婚式主催したのは枢機卿ピエトロ・アルドブランディーニだった。当時王族結婚式によく見られたようにマリー叔父にあたるトスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチ代理として花婿位置に立ち、マリーに指輪をはめている。周囲描かれている人々は、ルーベンス本人始めとして特定されている。実際にこの代理結婚式挙行されたのは、ルーベンスがこの作品を描く12年前のことで、当時ルーベンスゴンザーガ公家仕えており、イタリア滞在中だった。若きルーベンス花嫁背後に立ち、十字架を手にしながら鑑賞者の方を向いている。ルーベンス他者主題とした作品に、自身これほど目立つように描くことは極めてまれなことだった。ルーベンス以外の参列者として、トスカーナ大公妃クリスティーナマリーの姉マントヴァ公エレオノーラ、そしてトスカーナ大公側近であるロジェ・ド・ベルガルド、二人結婚をまとめ上げたシルリー侯爵らが描かれている。『マリー・ド・メディシスの生涯』他の作品同様に『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』にも神話題材描かれている。バラ花冠被った古代結婚の神ヒュメナイオスが、右手マリートレーン(引き裾)を支持し左手には結婚式燭台掲げている。画面上部描かれているのは、父なる神キリストの遺骸掻き抱いているピエタ連想させる大理石彫刻で、バルトロメオ・バンディネッリ1493年 - 1560年)の作品である。

※この「『マリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理結婚式』」の解説は、「マリー・ド・メディシスの生涯」の解説の一部です。
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