『あどりぶランド』
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MBSのアナウンサー時代には、MBSテレビで水曜日に放送されていた同社アナウンサー総出演の番組『あどりぶランド』にも随時出演。収録・放送日(水曜日)が競馬の追い切り取材日と重なっていた関係で、他のアナウンサーより出演の頻度は少なかったものの、以下の逸話を残した。 1986年には『あどりぶランド』の企画で、当時の同僚アナウンサー2人(高村昭・三好俊行)とともに、徒歩だけによる鯖街道(総距離約75km)の完全踏破に挑戦。全員無事に歩き切った。蜂谷はこの企画で履いたウォーキングシューズを履いて、半年後のグアムマラソン予選に出場。この予選を1位で通過したことが、マラソンへの本格挑戦のきっかけになったという。 1987年には『あどりぶランド』の企画で、当時の同僚アナウンサー5人(結城哲郎・阪本時彦・水谷勝海・今野秀隆・青木和雄)とともに駅伝形式でグアムマラソンへ初出場。上記6人によるチームは、出場22チーム中15位(合計タイム3時間44分43秒)で完走を果たした。蜂谷は、1区(7.95km)を37分37秒で走ったばかりか、帰国直後に日本ダービー中継でメリーナイス優勝の瞬間を実況。その半年後に前述のグアムマラソンを3時間48分で完走したこともあって、「走る競馬実況アナウンサー」という異名と共に、蜂谷の名が競馬ファン以外にも広く知られるようになった。 1987年10月11日に益田競馬場(当時島根県益田市にあった地方競馬専用の競馬場)でウズシオタロー(当時日本国でレースへの最多出走記録を樹立していた競走馬)の引退記念レース「ウズシオタロー引退記念競走」を開催した際には、『あどりぶランド』の企画を兼ねて仮設の実況席から特別に実況を担当。3日後(同月14日)の『あどりぶランド』では、ウズシオタローの通算出走記録にちなんだ「ウズシオタロー二百五十戦」というタイトルで、実況と現地取材の模様が放送された。
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『あどりぶランド』
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毎日放送アナウンサーの企画・出演によるバラエティー番組『あどりぶランド』では、軽妙なキャラクターを活かした。NHKから同局への移籍を決めたのは、現役のアナウンサーとして同番組へ出演したかったことにもよる。 『なんでも実況』琵琶湖の幽霊ビル爆破実況 NHK大津放送局から移籍した直後の1992年5月には、当時スポーツアナウンサーだった井上光央、現在もスポーツアナウンサーとして活動する馬野雅行と共に、当時琵琶湖の畔に建っていた通称「幽霊ビル」(正式名:木の岡レイクサイド)の爆破による解体(日本初の事例)の模様を実況。この絶叫によって、同年12月31日にTBSで放送された『おもしろ人間大賞』で、アナウンサー部門の特別賞(C.C.ガールズ賞)に選ばれた。 テレビドラマ『水戸黄門第21部』にエキストラ出演 MBS制作の時代劇「水戸黄門第21部」に酔いどれ漁師役でエキストラ出演し、主演の水戸光圀(西村晃)の前で酔っ払った田丸が、かげろうお銀(由美かおる)に絡み、頬をぶたれて光圀に倒れこむ役を演じるまでの撮影舞台裏をドキュメント。 特撮番組『ウルトラマンティガ』にエキストラ出演 ウルトラマンシリーズに造詣が深く、1997年には同番組のアナウンサーの挑戦企画の一つとして、同じMBSテレビ制作の『ウルトラマンティガ』第49話「ウルトラの星」に出演を果たす。劇中の『ウルトラQ』撮影シーンでペギラ出現に驚く南極観測隊員役のエキストラ俳優を演じたが、共演した俳優の円谷浩へのインタビュー等も含めた撮影の舞台裏の模様が本編放送の直前に『あどりぶランド』内で放送された。毎日放送制作の『ウルトラマンティガ』の第49話"ウルトラの星"に出演を果たす。劇中の「ウルトラQ」撮影シーンでペギラ出現に驚く南極観測隊員役のエキストラ俳優を演じ、共演した俳優の円谷浩へのインタビュー等も含めた撮影の舞台裏の模様が本編放送の直前に『あどりぶランド』内で放送された。
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