「本格派探偵作家」として
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「甲賀三郎」の記事における「「本格派探偵作家」として」の解説
乱歩は甲賀の短編の代表作として、『二本の短編小説』(昭和10年)で『琥珀のパイプ』、『ニッケルの文鎮』、『体温計殺人事件』、『緑色の犯罪』、『悪戯』、『奇声山』、『荒野』を挙げている。また、戦後、横溝正史は「大衆雑誌のものなら、乱歩よりも甲賀の方が上だろう」と語っている。子息の春田俊郎は、親子間での会話から、父の甲賀がかなりの自信を持ち、自分でも気に入っていた作品は『姿なき怪盗』であったろうとしている。この『姿なき怪盗』は、昭和6年暮れから7年初頭にかけ、伊豆吉奈温泉の東府屋に滞在して執筆したものという。 探偵・推理小説のジャンルとして、大正15年に初めて「純粋に謎解きの面白さを追求する」という意味での「本格」という言葉を使い始めたのは甲賀とされている。「小酒井不木や江戸川乱歩、横溝正史、城昌幸は精神病理的、変態心理的側面の探索に興味を持ち、異常な世界を構成しているから」と、彼らに「不健全派」の呼称を与えたのは平林初之輔だった。 この「不健全派」の名称が穏当でないという抗議が来て、これが「変格探偵小説」との名称に代えられたのだが、この「変格」という呼称の名付け親も甲賀だった。対する「健全派」の名称には以前からの「本格」が当てられ、ここに日本探偵小説独特の「本格」「変格」の名称が誕生したのである。 当時日本の探偵小説は黎明期であり、「怪奇小説」や「幻想小説」も含めていた日本の探偵小説界に甲賀は強い不満を抱き、『新探偵小説論』、『探偵小説十講』、『探偵小説講話』の三つの小説論を著し、次のように探偵小説を定義づけている。 「探偵小説とは、まづ犯罪--主として殺人--が起こり、その犯人を捜査する人物--必ずしも職業探偵に限らない--が、主人公として活躍する小説である」 『探偵小説講話』で、甲賀は「本格物こそ探偵小説の主軸とするべきである」と主張し、それ以外の「変格物」は「ショート・ストーリーと呼んだらどうか」と提案。また「探偵物に文学性は必要でない」とも主張して、探偵文壇に論争を巻き起こした。 甲賀は持論として、「探偵小説はコンストラクションの文学であって、他の小説とまったく別箇の存在である」と語っている。自分は探偵小説以外の小説の影響を受けていることが甚だ僅少であるとして、その結果と言うより、反ってそういう事実がその結論を導き出したとしている。 「本格探偵小説」を旨とした甲賀だが、戦前は作家も読者も本格長編の面白さを理解しようとしなかった。甲賀とても短編では本格ものを書いたが、通俗雑誌や婦人雑誌に連載した長篇はスリラーだった。日本に軍靴の音が激しくなると、姦通や殺人の表現は次第に制約され、不本意ながら軍事小説や冒険小説を書かざるを得なくなった。どちらかといえば軍国主義を批判し、選挙では必ず社会大衆党に票を入れていた甲賀も、結局文学報国会の仕事などをせざるを得なくなったのは今思うと気の毒でならない、と子息俊郎は語っている。
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「本格派探偵作家」として
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「甲賀三郎 (作家)」の記事における「「本格派探偵作家」として」の解説
乱歩は甲賀の短編の代表作として、『二本の短編小説』(昭和10年)で『琥珀のパイプ』、『ニッケルの文鎮』、『体温計殺人事件』、『緑色の犯罪』、『悪戯』、『奇声山』、『荒野』を挙げている。また、戦後、横溝正史は「大衆雑誌のものなら、乱歩よりも甲賀の方が上だろう」と語っている。子息の春田俊郎は、親子間での会話から、父の甲賀がかなりの自信を持ち、自分でも気に入っていた作品は『姿なき怪盗』であったろうとしている。この『姿なき怪盗』は、昭和6年暮れから7年初頭にかけ、伊豆吉奈温泉の東府屋に滞在して執筆したものという。 探偵・推理小説のジャンルとして、大正15年に初めて「純粋に謎解きの面白さを追求する」という意味での「本格」という言葉を使い始めたのは甲賀とされている。「小酒井不木や江戸川乱歩、横溝正史、城昌幸は精神病理的、変態心理的側面の探索に興味を持ち、異常な世界を構成しているから」と、彼らに「不健全派」の呼称を与えたのは平林初之輔だった。 この「不健全派」の名称が穏当でないという抗議が来て、これが「変格探偵小説」との名称に代えられたのだが、この「変格」という呼称の名付け親も甲賀だった。対する「健全派」の名称には以前からの「本格」が当てられ、ここに日本探偵小説独特の「本格」「変格」の名称が誕生したのである。 当時日本の探偵小説は黎明期であり、「怪奇小説」や「幻想小説」も含めていた日本の探偵小説界に甲賀は強い不満を抱き、『新探偵小説論』、『探偵小説十講』、『探偵小説講話』の三つの小説論を著し、次のように探偵小説を定義づけている。 「探偵小説とは、まづ犯罪--主として殺人--が起こり、その犯人を捜査する人物――必ずしも職業探偵 に限らない――が、主人公として活躍する小説である」 『探偵小説講話』で、甲賀は「本格物こそ探偵小説の主軸とするべきである」と主張し、それ以外の「変格物」は「ショート・ストーリーと呼んだらどうか」と提案。また「探偵物に文学性は必要でない」とも主張して、探偵文壇に論争を巻き起こした。 甲賀は持論として、「探偵小説はコンストラクションの文学であって、他の小説とまったく別箇の存在である」と語っている。自分は探偵小説以外の小説の影響を受けていることが甚だ僅少であるとして、その結果と言うより、反ってそういう事実がその結論を導き出したとしている。 「本格探偵小説」を旨とした甲賀だが、戦前は作家も読者も本格長編の面白さを理解しようとしなかった。甲賀とても短編では本格ものを書いたが、通俗雑誌や婦人雑誌に連載した長篇はスリラーだった。日本に軍靴の音が激しくなると、姦通や殺人の表現は次第に制約され、不本意ながら軍事小説や冒険小説を書かざるを得なくなった。どちらかといえば軍国主義を批判し、選挙では必ず社会大衆党に票を入れていた甲賀も、結局文学報国会の仕事などをせざるを得なくなったのは今思うと気の毒でならない、と子息俊郎は語っている。
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