「全米インディアン教育協会」の設立
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「ルパート・コスト」の記事における「「全米インディアン教育協会」の設立」の解説
1970年3月、フォード財団の資金提供を受けて、ニュージャージー州プリンストンで「アメリカインディアンの学識者集会」(Convocation of American Indian Scholars)を開催。中高一貫校及び大学のプログラムで、インディアン学生の教育を専任とする活動的なインディアンの教師と管理者を集めたこの会合は満場一致で、インディアン学生と教育者の利益と要求を満たす組織の創設を決定。コロラド州アスペンでこれを組織化した。 同年8月21日、ミネソタ州ミネアポリスに、コスト夫妻の他、スパーリン・ノーウッド、ハーシェル・“エース”・シャマン、 マリゴールド・リントン、ローズマリー・クリステンセン、ジョン・ウィンチェスター、リズ・ホワイトマン、ディロン・プラテロ、ウィリアム・デンマート、ネッド・ハタザリらを発起人として、「全米インディアン教育協会」(NIEA)を設立。 「NIEA」は、あくまで非営利的団体であり、絶対に非政治的団体であることを是として組織された。協会はインディアン及び他のアメリカ先住民たちの墓地の保護、インディアンを野蛮人表記した州の教科書の修正要求、インディアン芸術家の奨励、インディアンの領土主張と水利権回復要求の援護、新聞や本の発行を開始。1968年にはサクラメントで、インディアンの美術工芸の保護法制定のためのキャンペーンを張った。1969年には、カリキュラムの問題に対処するために、カリフォルニアで一連のインディアン教師のためのワークショップを組織した。1971年に、インディアンの美術工芸の育成発展のため、サンフランシスコで多数の展示会を後援した。これらの活動記録は、後述する「コスト図書館」にすべて収められ、閲覧自由となっている。 ジャネットが5年にわたって『The American Indian Reader: History 』を編集する間に、ルパートは『Textbooks and the American Indian』(1970年)を書いた。彼らの先見的な著作活動は、1987年の「カリフォルニア対カバゾン・バンド法廷戦(英語版)(California v. Cabazon Band of Mission Indians)」や1988年の「リン教育長官対北西インディアン墓地防衛協会(Lyng, Secretary of Education, et al. v. Northwest Indian Cemetery Protective Association)」 のような、インディアン部族の生得権や信教の自由を巡る合衆国最高裁での訴訟案件に大きく影響している。 ルパートによる、初期カリフォルニア植民時代における、キリスト教伝道師たちの「ミッション布教」の残虐性と大量虐殺の暴露と検証は『カリフォルニアのミッション:ジェノサイドの遺産(The Missions of California : a legacy of genocide)』(1987年)にまとめられ、この書物の影響力は、カリフォルニアの「ミッション」の創設者であり、インディアン虐殺者であるフニペロ・セラ神父のローマ教会による聖人列席の予定を狂わせ、少なくとも延期させた。 1970年代までには、ルパートは活動家、教育者、ジャーナリスト、歴史家、組織者として、インディアン運動家たちに対する影響の頂点に立っていた。合衆国中の部族運動家や学者、ジャーナリストがコスト夫妻に助言と支持、洞察を求め、広報や支持を訴えた。チカソー族、オジブワ族、クリー族やとチヌーク族の部族会議と伝統派との争い、インディアンの信仰についての出版物の誤った記載、保留地での地下資源採掘と開発プロジェクト、連邦への部族再認定、「インディアン・マスコット問題」など、ルパートが関わり助言を与えた案件は、インディアンの権利問題の全般に及んでいる。
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