“畏るべきアブデュル”
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/26 16:48 UTC 版)
「ビリー・シン」の記事における「“畏るべきアブデュル”」の解説
上陸した連合軍は塹壕線で足止めされ、弱兵と軽んじていたはずの“ベドウィン”(英国軍がトルコ兵に付けた蔑称)の射撃に曝されて多大な損害を受けていた。トルコ人スナイパーたちの狙撃銃の大半はドイツ軍から供給されたスコープ未装備のGew98a等だったとされるが、彼らは貧弱な装備を射手の技量と高地の利、そして強靭な意志で補い、経験不足な連合軍の兵士が塹壕から無防備に姿を晒す瞬間を見逃さず、その精確かつ無慈悲な射撃で次々に仕留めたのである。対する連合軍首脳部も、自軍兵士に相次ぐ死傷者のうちに頭部創傷の占める割合の高さに着目して優秀な敵狙撃兵の存在に気付き、これに対抗すべくANZAC軍はシンをはじめとしたベテランのハンターたちを臨時の狙撃兵として前線各所に配置した。これによりスターリングラード攻防戦と並ぶ史上屈指の“狙撃手の天国”がガリポリ半島の塹壕線を舞台に誕生したのである。 チャタム駐屯地付近の攻撃陣地に派遣されたシンは、アイオン・“ジャック”・アイドリースと“勇者”トム・シーハンという観測手(無論彼ら自身も優れた狙撃手であった)をパートナーに、一躍その勇名をダーダネルス海峡に轟かせ始めた。シンら狩猟経験者にとって、『“獲物”が姿を見せるまでひたすら身を潜めて待ち、一瞬の好機を逃さずに一撃で仕留める』という対抗狙撃戦はまさに“狩り”そのものであったという。生来のハンターであったシンは支給された.303口径のショート・マガジン・リー・エンフィールド(SMLE)No.1-MkIIIを手にその狙撃技術を駆使して、1日に9名もの帝国兵を射殺するなど次々に戦果を上げ、瞬く間に“ガリポリの暗殺者”の異名を頂くANZACのエーススナイパーの座に上り詰めることとなった。 シンの狙撃を恐れたオスマン帝国軍は、自軍の狙撃兵の中でも特に腕利きの男達をチャタム駐屯地付近に派遣してシンに対抗した。まず最初の対決は8月、シンとシーハンが狙撃用陣地において狙撃に遭い、2人とも負傷して戦線を一時離脱することで帝国軍が先手を取った。このトルコ人狙撃手の名前や来歴は伝わっていないがその腕前は精確で、彼の発射した銃弾はシーハンの構えていた測距用双眼鏡のレンズを貫通してその破片でシーハンの両手を傷付け、その瞬間に運良く双眼鏡を眼から外していたシーハンの口から入って頬を撃ち抜き、威力を減じながらもそのままシンの右肩に当たって2人を負傷させた。これによりシーハンは戦場を離れて帰国することとなり、シン自身も約1週間の治療を余儀なくされた。 傷を癒して戦場に復帰したシンは狙撃を再開、再び多くのオスマン帝国兵を射殺したが、これによって新たな凄腕のトルコ人狙撃手がチャタム駐屯地付近の戦場に送り込まれた。後に捕虜となったトルコ兵の証言や遺留された日記の翻訳等からその存在が明らかとなる、オスマン帝国軍最高と謳われたスナイパー“畏るべきアブデュル”(Abdul the Terrible)である。 その狙撃の技量を称え、時のスルタンから勲章を与えられたほどの狙撃手であったアブデュルは、シン只一人を倒すべく、まず法医学的なアプローチからシンを追い始めた。帝国軍の死傷者のうち、シンによる狙撃と思われるもののデータを収集し、その瞬間の証言を集め、可能な限り正確にその状況を再現することで、ついにはシンの射撃位置を特定することに成功したのである。シンはその狙撃の腕前から来る過信ゆえか、狙撃位置を変えないという致命的なミスを犯していた。それはチャタム駐屯地の外れにある丘陵地帯の一角にある小高い丘の上に掘られた狙撃用陣地であった。アブデュルは夜陰に紛れてその丘を見渡せる位置に狙撃用塹壕を造り、ひたすらシンが姿を現すのを待ち続けた。その陣地には他のANZAC狙撃兵が現れることもあったが、アブデュルはそれらすべてを無視してシンのみを追い求めたという。そして対決の日は訪れた。 ある朝、シンは新たな観測手を伴っていつもの狙撃陣地に赴き、射撃の準備を始めた。この時シンにとって幸運だったのは、観測手がシンの獲物を求めて双眼鏡を覗き始めてすぐに敵の狙撃手の姿に気付いたことであった。その狙撃手こそが即ち“畏るべきアブデュル”だったのである。報告を受けたシンはすぐさま射撃体勢に入ると、素早く、しかし慎重にSMLEの狙いを定めて一弾を放った。その弾丸は、待ちに待った獲物であるシンを狙撃しようと、まさにその時狙撃銃を構えたアブデュルの眉間に命中していたという。この闘いは後にオーストラリアの作家ブライアン・テートによって『ブリスベン・クーリア・メール』誌に発表され、シンは第一次大戦における伝説のひとつとなった。 アブデュルを倒した後の帝国軍のシンへの対抗策は、新たな狙撃手の派遣ではなくなった。帝国軍はシンの狙撃を確認すると、そこに向けて重砲撃を即座に要請したのである。最初の砲撃はシンの潜む陣地の至近に着弾し、シンと観測手が大急ぎで避難して数秒後、陣地は次弾を受けて跡形も無く粉砕されたという。
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