相次ぐ死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 19:11 UTC 版)
「ブラック・ウィドーズ・オブ・リヴァプール」の記事における「相次ぐ死」の解説
1880年代前半、キャサリン・フラナガンとマーガレット・フラナガンの姉妹は、リヴァプールのスカーヴィング・ストリート5番地で下宿屋を経営していた。1880年の終わりには、下宿屋にこの2人の姉妹とキャサリンの息子のジョン (英: John)、下宿していた2つの家族が住んでいた。下宿していた一家は、煉瓦屋の下働きのトーマス・ヒギンス (英: Thomas Higgins)とその娘のメアリー (英: Mary)、そしてパトリック・ジェニングズ (英: Patrick Jennings) とその娘のマーガレット (英: Margaret) である。22歳のジョン・フラナガンは以前は健康だったが、1880年12月に突然に死亡した。ジョンの死については特に取り沙汰されることはなかった。キャサリンは埋葬保険組合から71ポンド (2012年時点の5984ポンドと同等) を受け取った。ジョンは以前に埋葬保険組合に加入していたが、ジョンが死亡したのは加入してからまもなくのことだった。 1882年までに、マーガレットと下宿人のトーマス・ヒギンスは恋愛関係になった。2人は同年10月に結婚した。トーマスの娘である8歳のメアリーは病気になり、2人が結婚してから数ヶ月後に死亡した。メアリーの死により再び埋葬保険組合の支払いがあり、今回はマーガレット・ヒギンスが受け取った。 1883年1月、19歳のマーガレット・ジェニングズが死亡した。埋葬保険組合の支払いはキャサリンが受け取った。 下宿屋での相次ぐ死が近隣で噂になり、キャサリンとマーガレット、トーマスはラティマー・ストリート105番地、次いでアスコット・ストリート27番地に居を移した。1883年9月、当時45歳のトーマス・ヒギンスも謎の病に倒れた。腹痛がひどかったため、ウィットフォード (英: Whitford) 医師が呼ばれた。医師はトーマスの病気は安物のウィスキーを飲んだことに関係する赤痢であると診断し、アヘンとひまし油を処方した。トーマスは病気になってから2日後に死亡した。数日後、同じ医師に連絡がとられ、死亡証明書を出すように依頼された。医師はそれに応じ、死因を赤痢とした。
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