相次ぐ改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 00:25 UTC 版)
1830年代以降、蛇腹楽器の分類図表の空白を埋めるように、さまざまな改良が行われた。 左右非相称左右相称押引異音式 1829年 オーストリアのアコーディオン 1834年 ドイツのコンサーティーナ1847年頃 ドイツのバンドネオン1850年代 アングロ・ジャーマン・コンサーティーナ 押引同音式 1850年頃 オーストリアのクロマティック・アコーディオン1880年頃 イタリアのピアノ式鍵盤アコーディオン 1829年 イギリスのコンサーティーナ ・1834年、ドイツのカール・フリードリヒ・ウーリヒが、デミアンのアコーディオンを改良してジャーマン・コンサーティーナを発明した。両手でボタン鍵盤の演奏ができるようになった。 ・1830年代のフランスでは、アコーディオンはブルジョア家庭を対称にしており、クラシックも弾けるように、押引異音式ながら半音も出せるように改良された。 ・1847年頃、ドイツのハインリヒ・バンド(Heinrich Band)が、ウーリヒのコンサーティーナをもとに「バンドネオン」を開発した。 ・1850年頃、オーストリアのフランツ・ワルターが、押引同音式のクロマティック・ボタン・アコーディオンを開発した。 ・1850年代頃、ワルターのクロマティック・ボタン・アコーディオンをヒントに、マテウス・バウアーがピアノ式鍵盤の「クラヴィアー・ハーモニカ」を開発。 ・1850年代頃、イギリスのジョージ・ジョーンズが、ジャーマン・コンサーティーナとイングリッシュコンサーティーナを折衷して、アングロ・ジャーマン・コンサーティーナ(アングロ・コンサーティーナ)を開発。 ・1880年前後、バウアーとは別に、イタリアでピアノ式鍵盤をもつアコーディオンを開発。 というように、19世紀の末までには蛇腹楽器の基本的なタイプは出そろった。 蛇腹楽器の発明は、発明に対して一定期間の独占権と権利侵害に対する損害賠償請求を認める近代的な特許制度と、密接に関係していた。鍵盤の配列法を変えたり、楽器本体のデザインやサイズを変えるなど、19世紀にさまざまな蛇腹楽器の新製品が開発された背景には、既存の特許に抵触することを避けるためという一面もあった。 19世紀前半の蛇腹楽器はおおむね小型軽量で安価であった。また、アコーディオンはダイアトニック(押引異音式、全音階のみ)、コンサーティーナはクロマティック(押引同音式、半音階もカバー)、と、蛇腹楽器ごとのコンセプトの棲み分けも明確だった。しかし時代が下りさまざまな新しい蛇腹楽器の開発が進むと、アコーディオンのクロマティック化や、コンサーティーナのダイアトニック化など、当初の棲み分けは次第に曖昧になった。音域の拡張も図り複雑な機構をもつ大型の蛇腹楽器が次々と開発された。 15世紀に描かれたポルタティフ・オルガン。蛇腹と、寸詰まりの鍵盤をそなえている。 笙を含む東洋の伝統的なフリーリード楽器。 初期の簡素なアコーディオン。1830年前後の製品。 アコーディオンを弾く少女。当時は工業技術の粋を集めた最新の楽器だった。1840年のロシアの絵。
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