相次ぐ校舎の新築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/02 09:28 UTC 版)
1876年(明治9年)には早くも淡海國玉神社境内に第一副築校舎(「お宮の校舎」、現在の社務所の場所)を増築している。当初の第一副築校舎は平屋建だったが、1885年(明治18年)には2階建となった。1896年(明治29年)には見付高等小学校が第一副築校舎を使用することとなったが、大正時代には解体移築された。1897年(明治30年)には平屋建の第二副築校舎(「塔之壇校舎」、現在の磐田市塔之壇テニスコートの場所)が建設されたが、第二副築校舎は3部屋しかなかった。 1897年には見付高等小学校のために鐘鋳塚校舎(「梅屋の学校」)が新築された。1908年(明治41年)には見付尋常小学校が廃止され、見付尋常高等小学校と見付女子尋常高等小学校が開校した。1913年(大正2年)には五階校舎の使用が取りやめられ、城之腰に見付女子尋常高等小学校の校舎(女子校)が新築された。1922年(大正11年)にはそれぞれ見付第一尋常高等小学校と見付第二尋常高等小学校に改称したが、1925年(大正14年)には合併して見付尋常高等小学校となり、校舎は城之腰の校舎のみが使用された。 1941年(昭和16年)には見付尋常高等小学校が磐田町立見付国民学校に改称。終戦後の1948年(昭和23年)には現行名の磐田市立磐田北小学校に改称した。1974年(昭和49年)には開校100周年記念式典が行われている。
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