下船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 08:49 UTC 版)
「キャンベルタウン」に搭乗していたコマンドス第3グループの内訳は、2個戦闘班、5個爆破班、3個防御班、および迫撃砲チームであった。このうち3個爆破班は揚水装置など乾ドックに付随する基地施設の破壊を任務とした。また残り2個班のうち、1個班は4人のコマンドス隊員と引き換えに4箇所の砲兵陣地の破壊に成功し、最後の1個班はほとんどの目標を破壊したものの、隊員の半数が戦死した。さらに第1、第2グループの任務は完全に失敗していた。これは、第1、第2グループを輸送していた機動艇の多くは兵員を揚陸することなく撃沈され、ヴュー・モールに到達してコマンドス上陸に成功したのは「457号艇」のみ、バサン・ド・サン=ナゼールへの旧入口に到達したのは「177号艇」のみであったことが大きな要因である。「177号艇」から出撃したコマンドスは、内湾にて2隻のタグボートを爆破。これに加え、「160号艇」がドックを通り過ぎて川上の標的に向かった一方、「269号艇」は沈没こそ免れたものの制御を失い海上を旋回している状態であった。この頃、「キャンベルタウン」では自沈用爆薬が起爆され、ビーティ以下乗組員らの撤収が開始。「177号艇」は「キャンベルタウン」に移動し、負傷者を含む乗組員30名を収容した。一方、第1、第2グループの任務失敗を知らされていなかったコップランド少佐は負傷者らと共に本来の脱出地点であったヴュー・モールを目指して移動していた。 機動砲艇に搭乗していたニューマン中佐は本来上陸する必要がなかったが、最初に上陸した英兵の1人となった。彼が最初に行なった活動の1つは、上陸したコマンドスを圧倒していたUボートブンカー上の機銃陣地の座標を迫撃砲チームに報告する事だった。彼は続けて武装漁船への攻撃を指揮し、川上への撤退を強いた。以後、爆破班の作業が完了するまでの間、ニューマンは防衛線を組織して指揮を取り、増援を受けて徐々に規模を増すドイツ軍と戦い続けた。 ニューマンが海上からの脱出が今や絶望的になったと判断した時、彼の周囲では100名以上のコマンドス隊員が戦っていた。生存者を集合させた後、ニューマンは次の3つの命令を下した。 英国帰還の為に全力を尽くすこと。 銃弾を残したままでは決して降伏しないこと。 友軍の助けを得られるならば決して降伏しないこと。 ニューマンとコップランドは機関銃での掃射を行いつつ、旧市街から橋を渡り、新市街への突撃を試みた。コマンドスは狭い路地や農地を利用してドイツ軍の追跡から逃れようとしたが、最終的には全員が包囲下におかれた。包囲されたコマンドスは弾薬が尽きるまで抵抗した後に降伏した。また、わずか5名のコマンドス隊員は包囲を逃れ、中立国スペインを経由してイギリスへの帰還を果たしている。
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