李完用
李完用
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李 完用(り かんよう、イ・ワニョン、リ・ワニョン、이완용、리완용、1856年7月17日(旧暦咸豊6年6月7日) - 1926年2月12日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家。勲等は大勲位。爵位は侯爵。大韓帝国の内閣総理大臣、大日本帝国の朝鮮総督府中枢院副議長などを歴任した。甥に韓相龍。
- ^ “이완용(李完用)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月24日閲覧。
- ^ 霞南 1934, p.170
- ^ 霞南小松緑 1934, pp.171-175
- ^ 霞南 1934, p.175-176
- ^ 霞南小松緑 1934, p.179
- ^ 新城道彦『朝鮮王公族――帝国日本の準皇族』中央公論新社、2015年、56頁。
- ^ a b c d 新城道彦『朝鮮王公族――帝国日本の準皇族』中央公論新社、2015年、57頁。
- ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。
- ^ a b 金完燮 2002 p.117
- ^ 新城道彦『朝鮮王公族――帝国日本の準皇族』中央公論新社、2015年、58頁。
- ^ “【噴水台】日本、韓国の敵なのか” (2018年11月1日). 2019年1月12日閲覧。
- ^ 李完用ら親日派9人の財産、国への帰属を決定 聯合ニュース、2007年5月2日
- ^ a b 【噴水台】韓日合邦の魚、中央日報、2001年8月27日、 Watch How You Use 'Traitor 中央日報、2001年8月30日(英語/ハングル)
- ^ 金完燮 2002 p.126
- ^ 霞南小松緑 1934, p.182
- ^ 『官報』第8191号「授爵、叙任及辞令」、明治43年10月8日(NDLJP:2951543/5)
- ^ 『官報』第3985号「叙任及辞令」、大正14年12月5日(NDLJP:2956135/3)
- ^ 『官報』第4040号「叙任及辞令」、大正15年2月15日(NDLJP:2956191/3)
- ^ 『官報』第4039号「叙任及辞令」、大正15年2月13日(NDLJP:2956190/2)
李完用
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李允用男爵(朝鮮貴族)の弟。1907年(明治40年)に大韓帝国内閣総理大臣に就任する。同年第三次日韓協約に調印する。1909年(明治42年)12月に李在明のテロに遭うが、命拾いする。1910年(明治43年)8月13日、寺内正毅から韓国併合決定を伝えられた場で、韓国の名称を旧称である朝鮮に改めるように要望し、承認される。8月22日に韓国併合ニ関スル条約に調印する。1920年に伯爵より陞爵して侯爵となった。
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