問題となった発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:09 UTC 版)
『週刊読書人』や『図書新聞』に寄稿していた時期に、絓秀実や渡部直己などと口論に至り、絓に対して学歴差別とも受け取れるような発言をした。その後、この言動については、絓本人から、渡部との対談内で「今の文学界が学閥的なものでなくなっていることをまるで認識できていない」と批判されている。 自身が執筆を担当した分の「斜断機」の記事内で松本健一や大西巨人を挑発したこともあり、特に大西との一件では、長男・赤人からもこの時の山崎の発言内容を自身の公式サイトにて非難されている。 2007年11月、「沖縄集団自決裁判」関連では、大江健三郎の『沖縄ノート』の内容を擁護する立場から、『ある神話の背景』において曽野綾子が『沖縄ノート』の「罪の巨塊」を「罪の巨魂(魁)」と誤記・誤読したことが全ての原因であるとして、曽野や小林よしのりを攻撃した が、この山崎の発言に対して、曽野とも対談したことのある池田信夫が、誤表記は単なる編集者側のミスであり、曽野本人のミスではないと主張し、「著書といえば自費出版しかないような自称評論家は対談もしたことがないのか」と反論、その後も山崎も自らのブログ記事で池田に再反論し、「君の日本語は大丈夫か(笑)?」と揶揄した。この問題をめぐっては、佐藤優とも対談を行っている。 2009年頃に「山崎の公式ブログのコメント欄に事実誤認に基づく中傷発言がある」として、仲正昌樹から直接メールやブログのコメント欄に抗議が寄せられた が、山崎は、この事実誤認している部分に関係しているとされる仲正自身の発言やネット上での投稿発言を寄せ集めた上で、仲正を揶揄する記事を連投したが、最終的に仲正本人や、その勤務先である金沢大学から苦情が相次いだため、一部の記述を修正するに至った。 小保方晴子によるSTAP細胞論文をめぐる騒動では、トーマス・クーンの『科学革命の構造』を論拠とながら、一貫して小保方を擁護している。しかし、この問題をめぐる論争の過程で、小保方を批判する一人である片瀬久美子への攻撃的な言動が名誉棄損認定されて、清水陽平弁護士からの警告が出たことにより、2016年に公式ブログにて謝罪文を掲載した。
※この「問題となった発言」の解説は、「山崎行太郎」の解説の一部です。
「問題となった発言」を含む「山崎行太郎」の記事については、「山崎行太郎」の概要を参照ください。
問題となった発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:56 UTC 版)
2018年(平成30年)2月20日 - さいたま市議会2月定例会文教委員会で、質問に答えた市立中央図書館長に向かって「首をつって死ね」と発言し、翌21日の臨時委員会で発言を取り消して謝罪した。「ちゃんとした答弁がないと感じ、かっとなってしまった。非常に不謹慎だった」と釈明したが、さいたま市教育長は「館長は誠実な答弁だった。人権を侵害する発言で、断固抗議する」と発言した。3月12日 - 市議会は懲罰特別委員会を開き、「発言は著しく不適切だ」として、会期終了までの間、吉田を出席停止処分にすることを決めた。3月15日の本会議にてこの懲罰が可決された。 3月16日 - 吉田に対する辞職勧告決議が可決された。この決議に法的な拘束力は無く、吉田は「地元の有権者から叱咤激励の声を頂いているので、反省して今後も頑張っていきたい」と述べ、議員辞職を否定した。 10月19日 - さいたま市議会9月定例会本会議で、『さいたま市心身障害者医療費支給条例』の一部改正案に対する賛成討論で登壇中、吉田と同じ北区選出で車椅子を用いている傳田ひろみ市議に対し、「ここにも年収1354万5000円の車椅子の方がいる」、「ブルジョア障害者」などと発言、審議が紛糾した。吉田は本会議休憩中に新藤信夫議長から厳重注意を受け、議会後の取材に「確かに品がない言い方。申し訳ない」と言葉遣いについてのみ謝罪した。傳田は「侮辱的で障害者差別に繋がる」とコメントした。 12月21日 - さいたま市議会12月定例会本会議で、『さいたま市議会の議員の議員報酬、期末手当及び費用弁償に関する条例』の一部改正案に対し、「この議案に賛成する議員はペテン師だ」と発言し、審議が紛糾した。新藤信夫議長はこの発言を「不適切である」として取り消しを求め、自席に戻るよう指示した。しかし吉田は議長の指示に従わず討論を続行したため、他の市議が討論打ち切りの動議を提出し、これを可決して吉田の討論を中止させた。吉田は、議案が総合政策委員会で継続審査となったものの、予算案に盛り込まれたまま予算委員会で可決していたことについて、「条例案が継続審査なのに予算だけ先に可決するのはおかしい。統一地方選が終わるまで待ってから可決するつもりとしか思えない」と主張。「ペテン師」発言については「議会のやり方に関してだから(過去の不適切発言とは)全然関係ない」「問題ないと思っている」と述べている。
※この「問題となった発言」の解説は、「吉田一郎」の解説の一部です。
「問題となった発言」を含む「吉田一郎」の記事については、「吉田一郎」の概要を参照ください。
問題となった発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 10:36 UTC 版)
2020年10月5日、『バイキングMORE』において、菅義偉内閣の日本学術会議候補任命拒否問題に関連し、「6年在籍すれば日本学士院に行き終身で多額の年金がもらえる」などと説明し、『毎日新聞』や『朝日新聞』などの大手メディア、『BuzzFeed Japan』『ハフポスト』『LITERA』どのネットメディアやファクトチェックサイト、野党議員など、各所から事実と異なると批判された。翌日、番組側から発言について「誤った印象を与える」内容であったとの「補足と訂正」があったが、本人からの訂正や謝罪はない 。平井は事前にツイッターで学術会議が「中国千人計画に参加させている」と主張する門田隆将 の『WiLL』掲載文を引用し「こういう時に一番頼りになるのが門田隆将だ」と投稿していた が、これは学術会議も内閣府もデマであると認めている。 2020年11月5日、「FNNプライムオンライン」において、2020年アメリカ合衆国大統領選挙の結果について、リアルクリアポリティクスがペンシルベニア州でのジョー・バイデンの当確を取り消し、バイデンの獲得選挙人の数が過半数の270人を下回ったと報道。しかし、リアルクリアポリティクスはもともとペンシルベニア州の当確情報を確定させておらず、当確を取り消したという事実は存在しなかった。平井は誤りを認め、トランプの元側近のルドルフ・ジュリアーニ(元ニューヨーク市長)のツイートをもとに書いたと説明して記事を訂正、また自身のコラム『言わねばならぬ』の当該記事も削除した。翌12日には記事自体が削除された。
※この「問題となった発言」の解説は、「平井文夫」の解説の一部です。
「問題となった発言」を含む「平井文夫」の記事については、「平井文夫」の概要を参照ください。
問題となった発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:57 UTC 版)
歯に衣を着せない言動で知られた。渡辺の言動は「ミッチー節」と呼ばれ、いわれる栃木弁丸出しの歯に衣着せぬ話術でマスコミに積極的に登場しお茶の間の人気を得た。一方で、度々舌禍事件を起こした。 高福祉・低負担ともとれる当時の野党の政策論への支持を「毛針にかかるようなもの」と揶揄した 「中華人民共和国は政治が悪いから、穴を掘って住んでいる人がいる」と述べた(窰洞(ヤオトン)を指すとみられる) といったものが知られるが、以下の一件は時の総理大臣への抗議とその釈明書が出る事態となった。
※この「問題となった発言」の解説は、「渡辺美智雄」の解説の一部です。
「問題となった発言」を含む「渡辺美智雄」の記事については、「渡辺美智雄」の概要を参照ください。
問題となった発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 07:16 UTC 版)
1945年6月9日、第87回帝国議会が招集された。その目的は義勇兵役法と戦時緊急措置法の採択である。議会の招集を推進した内閣書記官長の迫水久常によると、鈴木や海軍大臣の米内光政は当初開催に反対であったという。迫水は、法治国家として今後新たな立法が必要となる一方、交通通信手段に対する戦争の影響で議会を開けなくなることが予想されるため、開会可能な状況で臨時議会を招集し、広範な立法権を政府に委任させるべきと考えた。すでに国家総動員法で行政府に広範な立法委任が認められ、さらに大日本帝国憲法第31条においては天皇による非常大権の規定も存在したが、迫水は「法律によって議会の委任を受けるほうが、民主的である」と考えたと記している。 この日午前10時30分より開かれた貴族院本会議および11時9分から開かれた衆議院本会議で、鈴木は発言を求め、戦争継続を訴える演説をおこなった。その中で、鈴木は「米英の非道」に言及した文脈で以下のように発言した(原文のカタカナをひらがなとし、一部漢字をカナ表記に変更。引用部分全体では貴族院と衆議院で助詞等の細部に違いがあるが、太字の部分はまったく同一である。以下の引用は貴族院での発言)。 今次の世界大戦の様相を見まするのに、交戦諸国はそれぞれその戦争理由を巧みに強調しておりますけれども、畢竟するに人間の弱点として誠に劣等なる感情である嫉妬と憎悪とに出づるものに他ならないと思うのであります。私はかつて大正七年、練習艦隊司令官として米国西岸に航海いたしました折に、「サンフランシスコ」におきましてその歓迎会の席上、日米戦争観につきまして一場の演説をいたしたことがあります。その要旨は、日本人は決して好戦国民にあらず、世界中最も平和を愛する国民なることを歴史の事実を挙げて説明し、日米戦争の理由なきこと、もし戦えば必ず終局なき長期戦に陥り、誠に愚なる結果を招来すべきことを説きまして、太平洋は名の如く平和の洋にして日米交易のために天の与えたる恩恵である、もしこれを軍隊搬送のために用うるが如きことあらば、必ずや両国ともに天罰を受くべしと警告したのであります。しかるにその後二十余年にして米国はこの真意を諒得せず、不幸にも両国相戦わざるを得ざるに至りましたことは、誠に遺憾とするところであります。しかも今日我に対し無条件降伏を揚言しておるやに聞いておりますが、かくの如きはまさにわが国体を破壊し、わが民族を滅亡に導かんとするものであります。これに対し我々の取るべき途は唯一つ、あくまでも戦い抜くことであります。帝国の自存自営を全うすることであります。 — 鈴木貫太郎、『官報』号外1945年6月9日 サンフランシスコ訪問に関する話題は、迫水が演説原稿を起草するに先立ち、鈴木に「何か特別に仰せになりたいことはないか」と尋ねた際、鈴木が「別段、特にないが」と返答しつつ語ったエピソードであった。迫水はこれを、鈴木が「終戦への意図の片鱗を示す一つの機会と考えて」いると解して、演説原稿の中に取り入れた。6月7日の閣議で原稿を提出するとこの箇所に対して議論が起き、下村宏(国務大臣・情報局総裁)・左近司政三(国務大臣)・太田耕造(文部大臣)・秋永月三(内閣綜合計画局長官)と迫水の5人で改訂を協議することとなった。その結果、「必ずや(日米)両国ともに天罰を受くべし」という文言を「天譴必ずや至るべし」と変更することでアメリカのみが天罰を受けていると解せる形への修正が決まる。しかし、翌8日以降に演説原稿は元の内容に戻され、そのまま本会議で用いられた。 会議録には両院とも、演説中に不規則発言があったという記録はなく、鈴木が「我らは速やかに戦勢を挽回し、誓って聖慮を安んじ奉るとともに、これら勇士(引用者注:将兵や英霊)に酬(むく)いんことを期するものであります。以上私の信念を披瀝しまして、諸君のご協力を冀(こいねが)う次第であります」という言葉で演説を締めくくると拍手が起きたと記されている。本会議ではこのあと、阿南惟幾陸軍大臣と米内光政海軍大臣による戦況報告に続き「陸海軍に対する感謝決議案」の採択(全会一致)、政府提出の戦時特別法案(両院で対象は異なる)の説明と、議案を審議する特別委員の選出をおこなった。貴族院では質疑や答弁はなかった。一方、衆議院では鈴木・米内・阿南の演説や議案への質疑がおこなわれ、太田正孝・森田重次郎・濱田尚友が質問に立ち、このうち濱田は鈴木が演説において世界の中で昭和天皇ほど世界平和と人類福祉を希求している者はいないとした点を、「神聖な」天皇を他の国の指導者と比較しているように見えると問題視する発言をしたが、「天罰」については言及していない。迫水の戦後の回想では、ある議員は迫水に「総理の真意は判った。しっかりやってくれ」と涙ぐみながら話し、護国同志会所属のある議員は「総理はけしからぬことをいった。内閣をつぶしてやるぞ」と語ったという。迫水は、護国同志会は「軍との連絡が多い立場に立っていた」と記している。
※この「問題となった発言」の解説は、「天罰発言事件」の解説の一部です。
「問題となった発言」を含む「天罰発言事件」の記事については、「天罰発言事件」の概要を参照ください。
問題となった発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 07:31 UTC 版)
2019年4月1日夜、福岡県北九州市で行われた集会で、「下関北九州道路」構想で本年度から事業化に向け国による直轄調査へ移行する決定をしたことについて、「総理(安倍晋三、山口4区)とか副総理(麻生太郎、福岡8区)が言えないので、私が忖度した」と発言した。翌2日に発言を撤回したが、現職の副大臣が利益誘導を認めるような発言は大きな批判を浴びた。さらに同月3日の衆議院厚生労働委員会で「大勢の人が集まる会の席で、私自身がわれを忘れて誤った発言をした」と釈明し「説明責任を果たすことで職責を全うしていきたい」と辞任は否定した。野党側は塚田の罷免を要求。安倍晋三首相は衆議院内閣委員会で「発言は問題だと考えている。副大臣としての公正性が疑われてはならないのは当然だ。本人が重大に受けとめ、撤回し、謝罪した」と罷免を否定した。菅義偉官房長官は塚田に対して厳重注意したことを明らかにしている。 しかし発言を巡って、野党側の辞任要求や与党側からも塚田に対する批判が相次いだこともあり、同月4日、「発言の責任を取り、職を辞したい」として、石井啓一国土交通大臣に辞表を提出し、この日の持ち回り閣議で認められた。後任は牧野京夫参議院議員が充てられた。なお、4月7日執行の福岡県知事選挙では、麻生副総理をはじめとする自民党執行部が強く推薦した武内和久候補が、現職の小川洋候補に大差で敗れる結果となり、麻生派の一人である塚田副大臣の「忖度」発言が影響したとの見方もある。
※この「問題となった発言」の解説は、「塚田一郎」の解説の一部です。
「問題となった発言」を含む「塚田一郎」の記事については、「塚田一郎」の概要を参照ください。
- 問題となった発言のページへのリンク