集団自決とは? わかりやすく解説

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しゅうだん‐じけつ〔シフダン‐〕【集団自決】

読み方:しゅうだんじけつ

集団自決すること。第二次大戦時沖縄サイパン樺太などで起こった民間人強制集団死を指すことが多い。


集団自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 01:59 UTC 版)

集団自決(しゅうだんじけつ)とは人が集団で自決を行う事。




「集団自決」の続きの解説一覧

集団自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:48 UTC 版)

サイパンの戦い」の記事における「集団自決」の解説

サイパン日本人民間人居住している土地での初めての本格的な防衛戦となったが、当時日本には戦闘地域における民間人取り扱いについての取り決めはなく、アメリカ軍艦砲射撃空襲が始まると、多数民間人巻き込まれ死傷したアメリカ軍上陸直前6月14日には日本人民間人防衛召集かけられ青年団警防団は軍に協力して後方任務従事したが、軍が日本人民間人保護避難誘導組織的に行ったという記録はなく、砲爆撃に家を焼かれ民間人子供の手引いて山岳地帯に列をなして自ら避難していった。 サイパン民間人の扱いに対して協議されたのは、大本営サイパン放棄決定した後の6月28日であり、東條より検討指示受けた軍務局長佐藤賢了中将が、医事局長大塚文郎大佐幹事とする連絡会議開催して協議された。そこで「政府命令において死ねというのは如何なものか」「非戦闘員自害してればよいが、やむを得ず敵手落ちることもあるも、やむを得ないではないか」という意見出されて「民間人自決が望ましいが、死ねとも言えないので、やむを得ずアメリカ軍への投降認める」という基本方針決められた。この方針はすぐに東條から昭和天皇にも上奏され、民間人を非常に心配していた昭和天皇この方針を聞いて満足したという。しかし東條佐藤この方針について「このことに対しては、直接課長までとす」「個人または軍の意見如く流布するのは不可」として、正式な命令指示としてサイパン各部隊伝えることはしなかった。 日本本土このような決定なされたことを知る由もない民間人戦闘の中を逃げ惑ったが、戦闘末期になると、多く民間人が軍と共に島の北部追い詰められバンザイクリフスーサイドクリフから海に飛び込み自決したなかには、親が子供殺した後に崖から飛び降りたり小学生車座になって座り手榴弾で集団自決をすることもあった。多く民間人軍民一体、兵士と共に逝くことが祖国へ忠誠教え込まれてきた結果であり、民間人最期様子アメリカ従軍記者によって雑誌タイム』に掲載され世界中配信された。特に入水自決一部始終撮影したフィルムは1シーンしかなく、入水者は会津出身室井ヨシという婦人であった海兵隊員目の前で繰り広げられる民間人の集団自決に衝撃を受け、特に自決前に行う儀式に目を奪われた。3人の若い日本人女性多く海兵隊員見ている前で岩場悠々と腰掛けると、長い黒髪落ち着いた様子整え始めて整髪し終わると両手合わせて祈りながらしずしずと海に向かって歩いていきそのまま入水自殺遂げたその様子を目撃したアメリカ従軍記者は、テルモピュライの戦い前にスパルタレオニダス1世やその部下たちが決死覚悟執り行ったとされる儀式連想したという。また、ある100人の集団は、全員が服を脱いで海中入って身を清めると、平らな大きな岩の上日本の国旗広げ、その国旗の上指揮役の男から配られ手榴弾全員自爆し果てたアメリカ軍島内民間人保護する旨の放送繰り返していたが、ほとんど効果がなかった。これは、退避中の民間人アメリカ軍による無差別攻撃により死傷者出していたことも影響した志願従軍看護婦となった民間人女性菅野静子も、アメリカ軍日本軍負傷兵あふれていた野戦病院火炎放射器焼き払ったり、命乞いする日本軍負傷兵殺害するところを目撃しており、捕まった絶対に殺される確信していたという。菅野日本軍最後の総攻撃のあと、野戦病院手榴弾自決はかったが、重傷負ってアメリカ軍収容されており、のちに「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙に「サイパンジャンヌ・ダルク」として報じられている。その記事には「日本軍最後玉砕地点発見したのは、意外にも、手榴弾自決をはかり下腹部重傷負っていたWAC女性兵士)だった・・・この勇敢な女戦士”のヤマト・ダマシイ強く心をうたれた」と書かれていたという。また、民間人は軍からアメリカ兵に捕えられたら殺されるのだから、自分から死ぬ方がよいと教え込まれており、自決禁止しなかったことも犠牲増えた原因指摘されている。この点、テニアンの戦いでは日本軍民間人対し自決行為強く戒めた事が効果出し民間人自決行為少なかったのと対照的である(異論がある。詳細テニアンの戦い#戦闘後)。 しかし、サイパン収容した日本人民間人調査したアメリカ軍報告書によれば投降した民間人の中では自決考えていた割合低く、なかなかアメリカ軍投降しなかった最大理由は軍に殉ずるなどといった愛国的な理由よりむしろ「捕まった拷問されるから」であり、それを信じていた比率収容者70%以上であった。民間人拷問されると信じたのは、軍の指導教育というよりは、戦争中戦意高揚のため朝日新聞婦人公論雑誌キングといったマスコミが、ガダルカナルの戦いでの報道を基に「男や子どもたち戦車スチームローラーによって轢き殺され女たちは船に連れて行かれ兵士水兵らの慰みものにされるだろう」などと真偽不明センセーショナルな記事報じ、それを読んで真に受けた日本軍将兵が、民間人話して広まってしまったからであったまた、ある新聞では、アメリカ新聞紙面に掲載された、アメリカ軍戦車取り付けられ日本兵頭蓋骨写真紙面転載してアメリカ人対す憎しみ恐怖煽ったり、海兵隊が「日本兵狩猟許可証」を無料弾薬武器一緒に受け取っているなどと、アメリカ軍人向けに描かれフィクション漫画翻訳付き紙面載せ、それを目にした民間人は、海兵隊員捕虜になった日本人をもっともおぞましい拷問する思い込み海兵隊員を最も恐れていたという。 以上の状況から、捕らえられるよりは自決選んだ民間人入っていない統計にはなるが、民間人投降妨げた最大要因は「アメリカ兵対す恐怖であったことが判明したまた、投降至った手段としては、「よく知っている人または親戚呼びかけ」で80近くにもなった。逆にアメリカ軍繰り返していた放送ビラによる投降呼びかけ応じたのは20%にも満たず今後日本人住民保護参考として活かされることとなった。なお、日本軍人中にはアメリカ軍による意図的な民間人虐殺目撃した証言する者もあるが、信憑性疑問視されている(詳細は#アメリカ軍の虐殺行為に関する田中徳祐の証言後述)。 日本国内では大本営により「おおむねほとんどの民間人は軍と運命をともにした」と発表され当時日本の新聞各紙上記タイム』の記事引用して民間人壮絶な最期記事にした。また、藤田嗣治によるサイパン民間人最後描写した絵画サイパン島同胞臣節を全うす」が制作展覧された。

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集団自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)

沖縄戦」の記事における「集団自決」の解説

詳細は「沖縄戦における集団自決」を参照 サイパンの戦いなどと同様に沖縄戦においても一般住民までが集団自殺する集団自決が発生した読谷村チビチリガマ事例83人)などが知られ、集団自決者の総数は1,000人以上とする研究者もいる。 これらの集団自決を軍の命令よるものとする主張がある一方で「集団自決は沖縄住民による戦傷病者戦没者遺族等援護法給付目的とした嘘である」との証言一部存在する

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集団自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 01:49 UTC 版)

敦化事件」の記事における「集団自決」の解説

8月26日夜明け、酒に酔ったソ連兵たちは短機関銃を空に乱射しながら女性たち監禁されている各部屋に乱入すると、女性たちの顎をつかみ顔を確認しながら、気に入った女性たち連れて行こうとした。女性たち金品渡したり、許し懇願した聞き入れられず、次々引きずり出されていった各部屋からは女性たち悲痛な叫びあふれたが、ソ連兵は構うことなく短機関銃乱射し続けていた。このため女性たちは頭を丸坊主にしたり、顔に墨を塗るなどしたがソ連兵による強姦は朝になっても収まることはなく、部屋乱入する女性たち胸部まさぐるなどして気に入った女性たち何度も連行していった。社宅と塀を隔てた工場残されていた男性社員たちは、社宅異変察知するソ連兵監視をかいくぐり塀を乗り越え社宅潜入したが、厳重な警戒敷かれている独身寮には近づくことができなかった。ソ連兵たちは狼藉続けるうちに女性たち部屋廊下監視兵を置くようになったため、御不浄食事ままならないようになった女性たち自身のおかれている状況絶え間ない銃声から、すでに男性社員たち皆殺しにあったではないか考えようになったソ連兵による女性たちへの昼夜に渡る暴行8月27日深夜になっても収まることはなかった。このため28人の婦女子集められていた部屋では自決をするべきか議論なされるようになった議論中にもソ連兵乱入があり、隣室からも女性たち悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声聞こえてきたため、自決することに議論決した隠し持っていた青酸カリ配られ全員自決図り23人が死亡、5人が死に切れずに生き残った。他の部屋ではソ連兵引きずり出されるときに剃刀自殺図った女性もいた。 8月27日早朝ソ連兵が集団自決を発見し将校報告される各部屋にはソ連兵見張り付けられ女性たちは外を見ることを禁じられ遺体はどこかへ運び去られた。責任問われることを恐れたソ連軍将校によって、これ以上暴行中止されることとなった

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集団自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 08:12 UTC 版)

東寧重砲兵連隊」の記事における「集団自決」の解説

東寧重砲兵連隊長の渡辺馨大佐は、日本ポツダム宣言受諾知らされる部隊の集団自決を決定した南陽連隊主力では、連隊長による終戦の詔書奉読訓示の後、決別の宴が催された。8月17日連隊本部第2大隊本部・第4中隊および連隊移動用に配属されていた独立牽引車15中隊の3グループ分かれて自爆による集団自決は決行された。南陽にいた部隊のうち第2中隊だけは中隊長単独先に自決していた影響で集団自決に参加しなかった。 連隊本部などの114人は黄色爆薬各30kgなどを積んだトラック12両に分乗して円陣を組むと、中央連結され導火線点火することで全車一斉爆破し連隊長以下80人が死亡第2大隊本部・第4中隊132人は装備火砲砲車分乗してそれぞれ自爆図ったが、2号車不発だったため死者第2大隊飯田常雄少佐以下66人と半数であった独立牽引車15中隊79人は砲兵トラクター5両とトラック1両に分乗して自爆し、うち46人が死亡した事態知った79師団司令部から中止命令出されたが、全体325人が参加して192人が死亡する惨事となった。 なお、東寧重砲兵連隊のほか、同連隊配属先だった第79師団では工兵第79連隊2日後8月19日に集団自決を図った工兵第79連隊では下士官・兵らを帰国のため朝鮮半島脱出させた後に、本村太郎少佐以下の連隊本部幹部5人が自決。さらに第3中隊若年者などを帰国に向かわせたものの、残る加藤文中尉以下約40人が水口浦西高地集団自爆し死亡した

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集団自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 05:01 UTC 版)

明朗会」の記事における「集団自決」の解説

玉音放送から8日後の1945年昭和20年8月23日午前11時頃、会長日比一以下明朗会関係者12人が皇居前で集団自決した。二列縦隊並んで宮城遥拝後、11人は短刀割腹したうえ喉を突いて自決し、それを見届けて最後に日比和一は拳銃で自らの頭部撃った通りがかった警察官発見し救急車手配した全員死亡した自決者には、第102号哨戒艇の元艇長だった水谷海軍少佐船員のほか、明朗会共鳴した伊地知三郎陸軍少佐明朗会本部女性事務員1人加わっていた。 この点、11人の死因について毒薬シアン化カリウム服用したことによるものであり、水谷保の遺族保管する海軍軍医署名死亡診断書にもその旨明記されているとする説もある[要出典]。同説によれば短刀自決したというのは、水谷保らを慕う当時部下たちが、死を悼んで創作した話であるという。 自決者達のそばには「一死以て皇運無窮祈念し奉る」という遺書残されており、埋葬料添えられていた。事件前日には、過激行動警戒していた警視庁対し自分たちに関しては心配いらない旨の申告をしていた。また、明朗会事務所貸していた弁護士に対して、「空軍将校たちも終戦納得して自分たちのなすべきことは済んだ」旨を自決者の一人語っていたという。 遺体は、明朗会と関係の深かった井上清純菩提寺である大長寺麻布永坂町)に埋葬された。その後府中市若松町移転した大長寺境内に、明朗会十二烈士忠魂碑建立され遺骨埋葬されている。

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