「集団自決跡地」
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「渡嘉敷陸軍補助施設」の記事における「「集団自決跡地」」の解説
1993年3月28日、ミサイル基地となった慰霊の土地が返還され、渡嘉敷村は新たに慰霊碑「集団自決跡地」の碑を建立した。碑文の後半には次のように記されている。 「 昭和二十六年三月この大戦で犠牲になった方々の慰霊のため、この地に白玉の塔を建立したが、周辺地域が米軍基地となった為に移設を余儀なくされた。時移り世変わってここに沖縄の祖国復帰二十年の節目を迎えるに当り、過去を省み戦争の悲惨を永く後世に伝え恒久平和の誓いを新たにするため、ここを聖地として整備し、碑を建立した。 」 —平成五年三月二十八日 渡嘉敷村
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