イスラーム世界とは? わかりやすく解説

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イスラム世界

(イスラーム世界 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 00:49 UTC 版)

アッラーフ · イスラーム
六信 · 五行
タウヒード · ジハード
モスク · マドラサ
カアバ · ハッジ




「イスラム世界」の続きの解説一覧

イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 14:39 UTC 版)

地球球体説」の記事における「イスラーム世界」の解説

イスラーム天文学地球球体説ギリシア天文学から受け継いだイスラーム理論的枠組みアリストテレス(『天体論』)やプトレマイオス(『アルマゲスト』)の基礎的な功績大きく依拠していたが、アリストテレスプトレマイオス地球球体であることと宇宙中心に存在すること(地球中心説)を前提としていた。 ムスリム学者初期から地球が丸いと認識しており、地上あらゆる位置からメッカ方角・距離を計量できるようになるために、イスラーム数学者球面三角法発達させることになった。これによりキブラ、つまりムスリムが祈る向き、が決められるアル・マームーン 830年頃、カリフアル・マームーンがイスラーム天文学者イスラーム地理学者達に、タドムール(パルミュラ)からラッカ(現在のシリア位置する)までの距離を測るように委任した。彼らは、両都市緯度にして1度子午線弧測量662⁄3マイル離れていることを発見してそれゆえ地球周長は24000マイルだと計算したアル・マームーン別の天文学者による測量では緯度1度が562⁄3アラビアマイル(111.8 km)であり、周長は40248kmと計算され、現在用いられている1度あたり111.3kmで周長40068kmという値にそれぞれ非常に近い。 アル・ファルガーニー アル・ファルガーニー(ラテン語アルフラガヌス)は9世紀ペルシア人天文学者で、アル・マームーン委任され地球直径算出携わった彼による上記緯度の値(562⁄3アラビアマイル)の算出プトレマイオスによる602⁄3ローママイル(89.7km)という値よりもずっと正確であったクリストファー・コロンブスは、プトレマイオス提出したよりも地球小さいことを証明するために、アル・ファルガーニーの値をアラビアマイルではなくローママイル当てはめて無批判使ったビールーニー アブー・ライハーン・アル・ビールーニー(973年-1048年)は地球周長計算するために新たな手法用い、現在用いられているものに近い値に到達した彼の算出した6339.9kmという地球半径の値は現在用いられている6356.7kmという値に16.8km足りないだけにすぎない二つ異なる場所から同時に太陽を見ることで地球周長算出した先達たちとは違いビールーニー平地山頂角度基づいて三角法による計算使った新しい手法発展させ、それによってより精確な地球周長の値を得て一人人間が一か所から測量するだけでその値を算出できるようにした。ビールーニーの手法は「暑く埃っぽい砂漠を歩くこと」を避けようしたものであり、彼がインド高山上った際に思いいたものである。彼は山頂から地平線見た際に、それが(既に計ってある)山の高さとともに大地曲率計るのに使えることに気づいたのである。彼は代数学をも用いて三角方程式立てアストロラーベ用いて角度を測った。 ジョン・J・オコナーとエドマンド・フレデリック・ロバートソンは『マックチューター数学的発見史』にこう書いている: .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「ビールーニー測地学地理学対す重要な功績成している。彼は地球計測する新しい方法導入して、それによって三角法用いて計った。彼は地球半径として6339.6kmという値を確立したが、これほど正確な値は西欧では16世紀まで得られなかった。彼のマスウード宝典』には600上の場所の座標の表が掲載されているが、彼はそのほぼ全ての値を自身による測量から導いていた。」

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イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:59 UTC 版)

アラブ人の奴隷貿易」の記事における「イスラーム世界」の解説

イスラム世界」、「en:Muslim conquests」、および「en:Islamic economics in the world」も参照 イスラーム教西暦7世紀出現し次の100年間で地中海地域急速に拡大したイスラーム教徒によるサーサーン朝ペルシア征服イスラーム教徒のペルシア征服)やビザンツ帝国多く領地征服アラブ・東ローマ戦争)、レバントイスラーム教徒シリア征服en:Muslim conquest of Syria)やアルメニアアラブ人アルメニア征服en:Arab conquest of Armenia)や北アフリカ征服ウマイヤ朝北アフリカ征服en:Umayyad conquest of North Africa)の後に広まった。またイベリア半島侵攻しウマイヤ朝ヒスパニア征服en:Umayyad conquest of Hispania)、西ゴート王国に取って代わった。 こうした地域は広い範囲に渡る多様な人々抱えることとなったある程度まで、こうした地域宗教的市民的双方基礎建てられイスラーム文化統一された。例えば、彼らはアラビア語と「ディナール」(通貨)を商業的取引用いたアラビア半島メッカは、現在と同じように、イスラーム教聖都であり、出自に関係なく全てのイスラーム教徒巡礼中心であったバーナード・ルイスによると、イスラーム帝国最初に中国人インド人中東北アフリカの人々アフリカ黒人ヨーロッパ白人といった異な人々」を一つにまとめたので、最初の「真に普遍的な文明」である。 アラブ軍の征服とそれに続くイスラーム国家拡張によって、常に戦争捕虜獲得された。彼らは、戦争におけるイスラーム伝統に従って捕虜として扱われるよりむしろ釈放される奴隷つまりラキーク (رقيق) や召使いにされた。一度奴隷になると、特にウマイヤ朝アッバース朝時代は、イスラーム国家の法であるイスラーム法に従って取り扱われなければならなかった。法に従い奴隷選択すれば自分生計立てることができるが、そうでなければ所有者主人)には生活費給与する義務であった奴隷主人の間に同意なければ主人のために稼ぐよう強制することは出来なかった。この考えは、イスラーム法でمخارجة (ムハーラジャ)と呼ばれる。もし奴隷同意すれば、自身解放のために稼いた金額貯める傾向にあり、そして奴隷主人の間にはその契約書かれなければならなかった。これはイスラーム法学で مكاتبة (「ムカータバ」en:mukataba)と呼ばれたイスラーム教徒は、 コーランあるよう奴隷主は奴隷と「ムカータバ」をするよう強く推奨されていると信じていた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}... またあなたがた右手が持つ者の中,(解放の証明証書求める者があって,あなたがたがかれらの善良さ認めるならば,その証明書きなさい。なおアッラーあなたがた与えられ資財一部をかれらに与えなさい。 ... —コーラン御光 en:An-Nurイスラーム文明枠組みは、根本的に都市オアシス商業センターとそれに付随する市場スークバザール)の発達したネットワークである。こうした都市は、半乾燥地帯砂漠横断する道路システム相互に繋がっている。交易路は、このキャラバン交通一部をなす奴隷護衛によって旅された。 男女比が2:1か3:1であった大西洋奴隷貿易異なりアラブ人の奴隷貿易では通常女性比率高く一般に女性奴隷選好されたことが読み取れる。妾や再生産需要女性奴隷多く白人系)を輸入する上で動機となったが、その一方で多く家事をさせるために輸入された。

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イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:18 UTC 版)

地球平面説」の記事における「イスラーム世界」の解説

詳細は「地球球体説#イスラーム世界」を参照 9世紀アッバース朝期天文学数学大きく開花したこの頃ムスリム学者プトレマイオス著作翻訳してアルマゲスト』となり、さらに球体説に基づいて彼の研究拡張発展させ、以降広い敬意集めることとなった。しかし、13世紀イスラーム黄金時代終焉すると、より伝統的な観念徐々に勢力増したクルアーンには、世界が「広げられた」とか「平たく作られた」などと言及されている。これに関して16世紀初期書かれ古典的なスンナ派注釈書『タフスィール・アル・ジャラーラーイン』には「『平たく広げられた』といった彼の言葉sutihatに関しては、[開示された]法の学者達の意見通り字義通り読めば地球は平たいということになり、たとえ天文学者たち (ahl al-hay’a) の説が法の矛盾しないとしても彼らの言うのとは違い球状ではない。」 「平たく作られた」ではなく広げられた」と訳されている場合もある。

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イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 05:38 UTC 版)

女系」の記事における「イスラーム世界」の解説

イスラーム世界では男系継承が主であるが、女系継承の例もある。ムハンマド一族ハーシム家は、ムハンマドの死後預言者近親として高い敬意払われたが、内部では男系同等アッバース家と、アブー・ターリブ家の中アリー家(さらにはその中のアリーファーティマ家)との正統性を巡る争いがあった。 アッバース朝は、家祖アッバースムスリムとしての活躍ムハンマド父方叔父であったことを理由ムハンマド後継者であることを主張したが、アリー家を支持する勢力シーア派やそれに近い一派)は、アリームハンマド親しさアリー正統カリフとしての事績理由対抗したその中でアリーファーティマ家を支持するシーア派は、ムハンマド血筋は娘のファーティマ通じて女系ハサンフサイン受け継がれており、ムハンマド唯一の子孫であるアリーファーティマ家こそすべてのハーシム家抑えて預言者継承者にふさわしいと、女系継承論理ムスリム支持集めた後代になってもこのことを理由に、サイイド男系継承を主としながら女系サイイド時代を下るにつれて認められるようになった。たとえば、中央ユーラシア・トルキスタンのヒヴァブハラコーカンドの3ハーン国は、男系ではチンギス・ハーンの子孫である(少なくともそう認知されていた)が、女系通じてサイイドでもあり(となっており)、実際にサイイドとして認知されていた。

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イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 10:19 UTC 版)

貨幣史」の記事における「イスラーム世界」の解説

アラブ諸国などイスラーム影響が強い国では、紙幣導入時間がかかる場合があった。イスラーム経済固有の事情により、交換するものは等量等価なければならず、素材として価値が高い金属貨幣重視されたためである。1940年代半ばアラブ諸国では多種類の金貨銀貨の他に、貿易決済マッカ巡礼者の通貨交換用に英領インドルピー紙幣使ったサウジアラビアではリヤル銀貨通貨だったが、銀価格高騰による流出通貨危機発生したため、事実上紙幣である巡礼者受領証発行し、のちに正式にリヤル紙幣発行した巡礼者用の紙幣は、サウジアラビアの他ではインドとパキスタンでも発行され正式に外貨証券呼ばれる

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イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 03:28 UTC 版)

両替商」の記事における「イスラーム世界」の解説

イスラーム帝国拡大に従って従来からのヨーロッパとアジアを結ぶ中継貿易役目加えて地域内の交易盛んになった。アッバース朝時代には、バグダート・バスラ・アレクサンドリアなどを結ぶ商業網が成立したディーナール金貨ディルハム銀貨代表的な貨幣であったが、各地から様々な地金秤量貨幣などが流入して通貨として用いられた。こうした通貨間の交換を図るために9世紀にはサッラーフ(şarrāf)と呼ばれる両替商成立し、後に砕銀粒銀などの秤量貨幣まとめて封印施して一定の貨幣価値をもって流通させたり、手形扱ったりもするようになったまた、地方から租税として集められ貨幣地金を公式の通貨換金して政府納入するジャフハズ(jahbadh)と呼ばれる御用業者もあった。

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イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:41 UTC 版)

ヨーガ・スートラ」の記事における「イスラーム世界」の解説

インド誌』(1030年)を著したアブー・ライハーン・ビールーニーによってはじめイスラーム言語翻訳された。この書はあまり広く読まれなかったが、16世紀アブル・ファズルインド哲学諸派解説で、忠実簡潔に紹介し同時代ヨーガ実践者たちの思弁実践的に肉体と魂の鍛錬法イスラーム知識人修道者関心集め1417世紀著名なスーフィー文人帰せられる修道論や雑録などにまぎれこんだ。18~19世紀のインド・ムスリムによるスーフィー文献にも色濃い影響与えた

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イスラーム世界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:53 UTC 版)

宇宙論」の記事における「イスラーム世界」の解説

イブン・スィーナーアリストテレスの論、プトレマイオスの論、ネオプラトニズム混交した説を述べた。彼は、地球中心とした9の天球同心円構造成しているとし、一番外側に「諸天の天」、その内側に「獣帯天の天球」、土星天、木星天、火星天、太陽天、金星天、水星天、月天、そしてその内側に月下界(地球)がある、とした。「諸天の天」から月天までの9天は全て第五元素であるエーテルから構成されており不変であり、それに対して月下界は四元素結合分解によって生成消滅繰り返しているとした。9天は地球中心に円運動行っている。そして、その動力因は各天球の魂である。魂の上に、各天球司っている知性ヌース)がある。一者唯一神アッラー)から第一知性流出放射)し、第一知性から第二知性第一天球とその魂が流出放射)する。その流出放射)は次々下位知性でも繰り返されて、最後に月下界が出現したとする。

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